オリーブ  |  davinci

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

オリーブ

 

膚の上によみがえるかさついた唇の感触。あのときはぞっとしたけれど、いまはそれほどでもない。それとも実際に触れてみたらやっぱりぞっとするんだろうか。
 単純な好奇心からミツコは空太に顔を近づけた。たしか、あれも春だった。春の陽気にやられて、それで――
「そういやさ、おれおまえのねえちゃんに告られた」
 唇が重なり合うまであと五センチ、というところで空太が口を開いた。ミツコはびくっとして体をのけぞらせた。
「は? どういうこと?」
 なるべく声が遠くに聞こえるように、空太とは逆のほうに向かって言う。やたらでかい声が出てしまった気がする。
「んーっていうか、やっぱちがうのかも」目に手をあてたまま、空太はあやふやに答えた。「半年ぐらい前だったかなあ。なんか思いつめたような顔していきなり好きとか言

バカ、アホ、ガキ。まるでなんにもわかっちゃいない。
 憤然としながらも、でも歯形のついた部分をチラ見せするのもそれはそれでかわいいかも、と思ってしまい、あわててミツコはうち消した。
 だめだめだめ、そんなのだめ!
 岡尾美代子さん(※4)はそんなことしないわ!
「あー、なんか眠くなってきた」
 ミツコの内部でめまぐるしく様々な感情がせめぎあっているのを知ってか知らずか、カップの紅茶をくいっと一息に飲み干すと、空太は芝生の上に仰向けになった。まぶしー、とちいさくつぶやいて、片手で目を覆う。
 そういえば、あたしこいつとキスしたんだっけ。すっかりなかったことになってたけど。
 唇だけがむき出しになった空太の顔を見おろし、ふとミツコは思い出す。一年も前のことなのに、なまなましく皮

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

オリーブ

 

うからさ、おれびっくりして。聞きまちがいじゃないかと思って確かめたら、やっぱなし、いまのなし、いまの嘘、とか言って猛ダッシュで逃げてっちゃって。わけわからんかった。なんだったんだろう、あれ」
「まぼろしでも見たんじゃないの」
 またどこまでほんとだかわかんないようなこと言ってるよ、と思って、ミツコは軽く受け流した。
 あのチエコが?
 よりによって空太を?
 ばかばかしい。そんなことあるわけないじゃないか。
「妬ける?」
 ぴらっと手を開いて、空太がこっちを見た。なにを考えてんだかよくわかんないような、いつものへらへら笑いを浮かべている。なんだか落ち着かなくて、ミツコは微妙に目線をそらした。

「まったく。ぜんぜん。これっぽっちも」
「素直じゃないなあ」
「あたしもう帰る。あんたなんかにつきあってられない」
「え? もう帰んの? おい、ちょっと待てよ、ミツコ」
「待たない」
「待てって」
 追いかけてくる空太の声をきれいに無視して急ぎ足で歩きながら、ミツコは胸のどきどきに気づかないふりをした。
 だめだめだめ!
 ラブコメやギャルゲーじゃあるまいしそんなのぜったいだめ! 


 そんなかんじで一年がすぎて、なにか変わったかといえ

ば変わったような気もするし、なんにも変わってないような気もする。
 喫茶オリーブはあいかわらず『Olive』からはかけ離れたダサダサの喫茶店で、カウベルが鳴るたびに、「いらっしゃいませえ」とよそゆきのお母さんの声が響く。コーヒーのにおいの中、今日もお父さんは新作ダジャレでお客さんたちの失笑をかっている。
 あいかわらず空太はバカで、柴はすてきで、くるみはギャルで、木下先生はピンクで、猫ノ池商店街はのどかだ。
 そしてミツコとチエコのオリーブ姉妹は、“オリーブ・フォー・エヴァー”をスローガンに今日もリセエンヌ道をまい進する。(終)

 

オリーブ

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

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<注釈>
※2【ギャルソンヌルック】二十年代に登場したファッションスタイルで、ほっそりした直線的なシルエットが特徴。ギャルソンヌとは「男の子のような女の子」の意。提唱者はココ・シャネル。

※3【車道の大塚屋】名古屋最大の手芸洋品店。地下一階から四階までレースやらボタンやら布地やら毛糸やらで埋めつくされた店内は、ハンドメイド大好きな乙女たちでいつもにぎわっている。

※4【岡尾美代子さん】雑貨から洋服まで幅広く手がけるスタイリスト。ほんわかしていながら、「かわいい!」の一点を絶妙に突いてくるときめきいっぱいのスタイリングで多くの女性を虜にしている。『Olive』でも活躍してい

 

た。作中で「岡尾さんはそんなことしない」とミツコは決めつけているが、実際のところは不明。


《最後までご愛読いただき、まことにありがとうございました!》

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

オリーブ

よしかわ・とりこ●1977年生まれ。作家。
2004年「ねむりひめ」で第3回「女による
女のためのR-18文学賞」の大賞・読者賞を
ダブル受賞。受賞作をふくむ短編集『しゃ
ぼん』でデビュー。他著作に『C級フルーツ
パフェ』『「処女同盟」第三号』『グッモー
エビン!』『戦場のガールズライフ』がある。現在、名古屋市在住。公式HP▼
http://www.monster.ne.jp/~trico/

 
オリーブ
  • 著者:吉川トリコ
  • イラスト:磯谷友紀
作 成 日:2009 年 12月 20日
発   行:吉川トリコ
BSBN 1-01-00030916
ブックフォーマット:#429
 

 
 
 
Toriko Yoshikawa

 
 

                                   
吉川トリコ