山本くんには友達がいない  |  davinci

 

「明日のうちあわせで、連載が決まると思う。その報告は真っ先にきみにするよ」
「もしそうなったら、手伝いにいっていいですか」
「手伝いってアシスタントってことかい?」
「あ、はい」
「きみ、漫画、描いてるんだ」
「は、はい」
 そう答えながら、山本くんは動揺していた。
 手伝いにいきたいだなんて、いったいぼくはなにを言っているんだ? 
 どれだけ『漫画家入門』を読みこみ、そこに書いてあるとおりの道具を買いそろえ、つかおうとしてもうまくはいかなかった。プロの漫画家がどういうふうに漫画を描いているか、知りたい気持ちはずっとあった。
 でもだからって、いま、ここでこうして申し出ることもないのに。沢田はまだプロとしてデビューしていない。い

にはじめてサッカーの試合を観た。それもまだ三回。正直言えば、ルールもよくわかっていない。サッカーにしようというのは編集者からの提案だ。これからさき、サッカーの時代がくるっていうんだよ。ほんとですかって聞き返したら、こう言われた。この漫画をヒットさせて、日本にサッカーブームをおこそうとね。野球がこれほど日本人に根付いているのは漫画のおかげであり、きみのこの漫画はサッカー版『巨人の星』なんだよとも言われた。山本くんはどう思う?」
 サッカーどころか、だれもが好きな野球ですら興味が持てない山本くんには、ピンとこなかった。それでもいま沢田に読ませてもらったネームをおもしろかったのはたしかだったので、「おもしろかったです」と答えた。
 沢田は山本くんを正面から見据えていた。目がモノを言ったところで、いま口にしたことといっしょなので、山本くんはうつむかないで、沢田を見返した。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

山本くんには友達がいない

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

や、それよりもたとえ承諾されたとして、いつ手伝いにいく? もちろん日曜日は駄目だ。ほかの日は? 塾がある。
「山本くん、勉強で忙しいだろ」
 そうだ。ぼくは忙しい。したくもない受験勉強で人生の大半を無駄に過ごしている。だが二学期になったら、堤にふたりで漫画を描こうと誘おうと考えていた。自分のアイデアを堤に描いてもらう気でいたが、沢田のところで技術を学び、自分も描けるようになればいい。そうだ、堤もアシスタントをしに連れていこう。いや、だからそんな時間がぼくにあるのか。山本くんは自問自答をつづける。それでも気づくと「お願いします」と声にだし、頭をさげていた。さらにはこんなことまで言っていた。
「ぼくも漫画家になりたいんです」

「よぉ、ひさしぶり」

 電話のむこうで黒須の声がした。時刻は八時をまわって
おり、家族はそろって大河ドラマを観ている最中だ。
 あいつがおまえに話したいことがあるって言うんだ。おれも本人からじゃなくて、福子経由で聞いたんだけどさ。いつでもいいから電話してやってくんねえか。
 そう言って萩原から黒須の家の電話番号を渡された。ほかの日は塾があるので、電話をかけるにしても九時か十時すぎになる。それはなんだか気がひけたし、親が許すはずがない。そこで夕食をすませてすぐ、することにした。このあいだ、うちにきた子に勉強のことで相談があるんだというと、母親はすんなり許可した。あの子だったら、また、お招きしてもいいわよ、とも言われたほどだ。
「萩原くんからきいて」
「ああ。ほんとはおれじゃなくて、姉貴なんだ。きみと話したいのは。いや、おれだって、ひさしぶりに話はしたかったけどさ」

 

山本くんには友達がいない

 

「どうしたの? 声がこもってるけど。風邪? それとも電話の調子が悪いのかなぁ」
「ぼくのほうはきちんと聞こえてます。だいじょうぶです」
 鼻血をだしている最中だとは言えない。
「そう? 夜も遅いから用件だけ言ってすますわね」
 いえ、できるだけ長く話をしましょう。
 とは言えなかった。鼻血だしてるし。
「わたし、山本くんに会いたいんだ」
 頭の中が真っ白になった。全身がしびれてきて、あやうく握っていた受話器を落としてしまいそうになった。わたし、山本くんに会いたいんだ。聞き違えのない言葉だ。たしかにいま、福子はそう言った。
「来週の日曜日、会ってよ。日曜模試がおわったあとに」
「あ、うん」
 どうして、とか、どこで、とか、そう言った疑問はわい

 ははは、と黒須は笑った。日曜模試全国三十位の人間の笑い方には余裕が感じられた。ただの僻み根性だとわかっていてもそう思ってしまう。
「いま、風呂、入ってるからさ。でてきたら姉貴にかけさせるよ。十分もかかんないと思うから、待っててな」
 風呂ときいただけで、山本くんのからだの一部が反応してしまった。それだけならまだしも電話を切ったあと、食卓に腰をおろしていたら、鼻の奥に生暖かいものを感じた。鼻水とはちがう。天板にぽたりと垂れたのは血だった。すぐさまテッシュを鼻につめ、上をむいていた。そこに電話がかかってきた。鼻血はとまる気配がない。やむなく上をむけたままの体勢で、椅子から立ち、電話にでた。
「山本くんのお宅でしょうか」福子だ。
「ぼ、ぼくです」
「ああ。山本くん? 元気だった?」
「はい」

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

山本くんには友達がいない

 

「え?」
「ぼくも読んでほしいものがあるんです」
「なに?」
「漫画。まだ登場人物とかしか描いてなくて、話は頭ん中にあるから、読んでほしいってよりも、会ったとき、その話をしますから聞いてください」
「いいわよ」福子の息づかいが耳をくすぐる。からだじゅうの血がぜんぶ鼻からでてしまいそうだ。「楽しみにしておく」
「ぼくも」
「じゃあ、来週の日曜」
 電話を切ろうとする福子を、山本くんは慌ててとめた。
「このあいだ、どうしてぼくの家に黒須がいるのがわかったの? それにうちの場所も」
「ああ。そんなこと? シンタローのあとをつけていたからよ。あいつ、あの日の前日、母さんと大喧嘩してね。そ

てはくるが、山本くんは聞き返すことができなかった。鼻血をだしているからというのは理由のひとつでしかない。
「あたしがアルバイトしていた喫茶店でいいわよね」
「は、はい」
「もうすぐできそうなんだ。小説。それを山本くんに読んでほしいの。できれば感想を聞かせて」
 沢田についでふたり目だ。しかもおなじ日におなじようなことを言われるとは。
 ただの偶然にすぎない。それでも山本くんはだれかが自分にゴーサインをだしているように思えた。
 いまがそのときだ、と。
「受験勉強で忙しいのはじゅうぶん承知だけどさ。なんていうのかな、だれかの意見をきかないと不安でしようがないんだ。だから。ね? SFなの。ほら、山本くん、そういうのけっこう読んでいるでしょ」
「ぼくも」

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

山本くんには友達がいない

 

 山本くんは自室に戻り、紙と鉛筆をとりだした。鼻血はおさまったが、鼻にはテッシュをつめたままだ。
 いまがそのときだ。
 山本くんは鉛筆を走らせた。ひさしぶりに描く野牛十兵衛だ。福子に見せることを考えると、手が震えてしまい、うまいこと描けなかった。消しゴムをとりだし、いま描いた線をごしごし消していく。
 沢田がデビューする(かもしれない)。福子が小説を書きあげようとしている。
 ぼやぼやしていられない。
 だからといって焦ることはない。落ち着け。落ち着くんだ。自分がやりたいことをやっているんだから。
 山本くんは鉛筆を持ち直す。そしてふたたび描きだす。

 いまがそのときだ。
 その声に従って。           (終)

ういうつぎの日に家出するのがあいつの常なの。あんときも案の定そうでさ。途中で呼びとめてもよかったんだけど、そうすると却って反発するから、とりあえず目的地までいかせることにしたってわけ」
 わかればたいしたことではない。しかし福子の身を考えればずいぶんとご苦労なことである。
「おいかけたの、これで三度目でね。あいつが電車に乗って遠出したのは今回、はじめてだった。ばれやしないかと思って、どきどきだったんだけど、あいつ、頭いいわりには、間抜けでさ。最後の最後まで気づかなかったんだから」
「もしかして、おれの話、してるぅ?」
 受話器のむこうで、黒須の声がした。
「なんでもないわよぉ。じゃ、山本くん、来週ね。バイバイ」

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

山本くんには友達がいない

山本幸久

(やまもと・ゆきひさ)
1966年、東京都生まれ。『笑う招き猫』(「アカコとヒトミと」を改題)で、第16回小説すばる新人賞受賞し、デビュー。近著に『ある日、アヒルバス』など。

 
山本くんには友達がいない
  • 著者:山本幸久
  • イラスト:フジモトマサル
作 成 日:2009 年 05月 30日
発   行:山本幸久
BSBN 1-01-00024579
ブックフォーマット:#429

Yukihisa Yamamoto

 
 
 
Yukihisa Yamamoto

 
 
 
山本幸久