夏休みがおしえてくれる  |  davinci

 
 
 

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Mitsuru Nakagawa

 
中川 充

第10回

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 
 
 
 
 
中川 充

 
夏休みがおしえてくれる

 
 

 
 
 
 
 
Mitsuru Nakagawa

 
 

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ネット上の読者投票を経てデビューした作家・ナカガワのもとに、一通のファンレター(?)が届いて……

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 

 
 
 
 
 
 
 
 
       第10回

夏休みがおしえてくれる

●連載第七回

 にゃんにゃんにゃにゃんにゃんにゃんにゃにゃんにゃん、にゃんにゃんにゃにゃんにゃんにゃんにゃにゃんにゃん、とフィッシュマンズの「メロディ」のピアノ音を「にゃん」で口ずさみながら耕太がカフェの扉を開けると、おるかな、おるかなと心配していた例の女の子はいつもの場所に坐っていつものように本を読んでおり、いつもなら店のドアーが開いたくらいで手元の本にそそがれている集中力が途切れることはなかったんだけど、いつもとちがって彼女———清美は顔を上げ、二人の目が合った。うわ、と思ってすぐに目を切った耕太は手前のカウンター席に坐り、いらっしゃいと注文を取りにきた本田さんにミックスジュースとサンドイッチを頼んだ。
 目覚めたのは正午をまわってからで、ベッドから起き上がろうとした瞬間に頭に鈍痛が走った。きのうというか、もう今朝のことになるが、明け方まで飲んでいて、

夏休みがおしえてくれる

それがすっかり身体に残っている。完全な宿酔(ふつかよい)だった。しばらく立ち上がることができず、耕太は軽い呻き声を出しながら見るともなしに天井に目をやったり、放っておくと重くなってくる瞼をその生理的要求にまかせるままにゆっくりと閉じたり、もぞもぞと寝返りをうったりなんてことをくりかえしながら、きょうはもう行かれへんかもしれへんな、そんなことをぼんやりと思った。「行かれへんかも」というのはカフェ「耳鳴り」のことで、そこで先週も先々週もその前も清美と会ったように、今週も耕太は彼女に会うつもりでいた。べつに約束を取りつけていたわけではないので、彼女がそこにいる保証はどこにもないわけだが耕太はそこに彼女がいることを確信していて、仮に彼女がそこにいたからといって話しかけるわけでもなにをするわけでもないんだけど、とにかくそこに行って彼女と会うんだ、とその行動自体がなにか大きな意味でもあるかのように感じながら、当然のようにきょうも「耳鳴り」に足を向けるつもりでいた。

 
ブンゲイ ダ・ヴィンチ
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ただ、そんな気持ちとは裏腹に身体はどんよりと重く、唸ったり寝返りをうったりしているあいだにまた寝てしまって、つぎに目を覚ましたときには時間は三時前になっていた。
 うわーと思うと同時に、さっきの時点で「きょうはもう行かれへんかもしれへんな」と思ったのに、そっから二時間近くもたってしまったいまとなっては、もういまさら慌てたりしてもしょうがないよね、そんなことを思ったりしたんだけど、いやいや、もしかしたらいまからでもまだ彼女に会えるかもしれへん、と前向きな気持ちになって耕太は思考を働かせた。三時くらいに彼女が帰ったこともあるにはあったが、夕方遅くまで店にいたこともあって、きょうのパターンが後者だとすればいまから行ってもぜんぜん間にあう。幸いなことに頭痛もさっきよりはましになってきているし、朝食と昼食を兼ねた感じできょうはオムライスじゃなくてサンドイッチでも頼もうかな。そこまで考えたときには耕太は店に行くことを決意していて、

ゆっくりとベッドから抜けだすと服を着替えた。
 水だけ飲んで部屋をあとにすると、まだ完全でない身体を引きずるようにしながら、期待半分、不安半分といった感じで歩みを進め、いよいよ店が視界に入ってきたときにはなんだかんだといいながらも期待が大きくなってきて、フィッシュマンズの「メロディ」のピアノ音を「にゃん」で口ずさんだりしてしまったんだけれど、ドアーを開けるとその期待どおりに清美がいつもの席に坐っていて、その手前、カウンターの中央の席にはモヒカンの男の子の姿も見えた。清美と目が合って動揺し、すぐさま目を切ったら切ったでモヒカンが目に入って、これまた少々動揺しながらも、なんにしてもあの娘がおってよかったと思いながら耕太は入ってすぐのカウンター席に腰を落ちつけたのであった。
 出された水を一口飲み、煙草でも吸おかしらんと耕太はシャツの胸ポケットに手を入れ、くしゃくしゃになったマイルドセブン・スーパーライトを取りだした。

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バカおるんかよ」と思いつつ、なんとはなしにその文面に目をやってみたらその内容がえらいマニアックで———というか、そこに書かれていた好きな音楽や小説がどえらく自分の好きなものとリンクしていて、うわあ、これは運命的な出会いかも! とそわそわしつつ、しかしながらこれは出会い系サイトからの勧誘メール。それを十分に理解したうえで行動を取らねばならぬ。というか、冷静に考えたらこんなのは無視するのが最善の策やと思うねんけどねー、とかモヒカンが思っていたとしてもそんなことはどうでもいいことで、いま耕太に必要なのはライターであって、もっというとこの横に坐っているモヒカンの青年がライターを所持しており、このような外見にもかかわらず博愛精神にあふれたやつで耕太の問いかけに快く応じてくれてライターを貸してくれるような好青年だったらええのになあということだった。というわけで、あらためてその姿をちらっと盗み見ると、モヒカンという非常に奇抜な髪型をしてはいるものの、横顔からうかがい知れるその表情は

一本抜きとり口にくわえたが、いっしょに入っていると思っていたライターがなくて、あれ? と思いながらジーンズの前ポケット、後ろポケットとまさぐってみたけどやっぱりなくて、忘れてきちゃったかな? なんてことを思いながらカウンターのなかを見てみると本田さんは耕太が注文した品をつくりはじめているところで、なんかいま声かけるのもタイミングが悪いような気がするなと思って、なんとはなしに隣に目をやってみると、ひとつ椅子を挟んでモヒカンの男が坐っているのがあらためて確認された。
 耕太が店に入ってきたちょうどそのとき、モヒカンは鞄のなかからノートパソコンを出し、電源を入れたところで、いまちらっと横を見てみるとモヒカンはパソコンの画面と向かいあい、キーボードを叩いていた。仕事でもしてるんかな? と一瞬耕太は思って、いやいや、あいつがなにをしていようがぼくには関係ないわけで、仮に出会い系サイトから届いたメールを見て「こんなんに引っかかる

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視線がモヒカンの青年の奥にいる清美のところに目がいって、いつもなら大抵本から目を離さない清美は清美できょうはなぜだかモヒカンの青年が気になって、いまさっき店に入ってきた男性がモヒカンの青年に話しかけるのを目の端で捕らえると、なんなんやろうと顔を上げた。というわけで、またしても二人は目が合い、ふたたびすぐに耕太は目を切った。
 そわそわし、若干動揺しながらも、これはチャンスではないのかしらん、と耕太は思った。彼女が煙草を吸うのかどうか、そのほんとのところはわからんけども———これまでに何度か店内で遭遇しているが、彼女が煙草を吸っているところは見たことはなかったので、たぶん吸わない確率のほうが高いと思われるというか、十中八九、非喫煙者やと思われるのだが———彼女が実際に煙草を吸う、吸わんにかかわらず、もっというと彼女がライターをもっている、いないにかかわらず、いま彼女に「ライターおもちですか?」と訊いてもそんなに不自然でない

どちらかというと温和そうな感じで、外見とは裏腹になかなかの好青年そうである。やっぱし人は見かけで判断したらダメだよね、なんてことを思いながら、二人のあいだにある椅子に右手をかけ寄りかかるようにすると、「すいません」と耕太は声をかけてみた。
 最初の呼びかけには反応がなく、一度目よりすこし大きめの声でふたたび耕太が「すいません」といってみると、え、ぼくにいってるんですか? みたいな感じでモヒカンがふりかえって、「はい」とちいさな声で返事をしてきた。
「あ、すいません。あの、ライターとかもってないですかね」
「ごめんなさい。ぼく、煙草は吸わないんですよ」
 横顔からうかがい知れたとおりの低い物腰でモヒカンの青年は答えてくれて、それに合わせるかのように「そうですか。ありがとうございます」と耕太は丁寧な物言いで感謝の意を表し、どうしましょと思いつつ無意識のうちに

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シチュエーションが図らずもできてしまったわけであり、すなわちこれは彼女と接触する千載一遇のチャンスであり、この機を逃してはいかん、そんなことをすると後悔しちゃうぞ! と思った耕太はその勢いに乗じて立ち上がりそうになったのであるが、いやいや、ちょっと待ってくれよ、それって暴れ牛級の暴走っぷりで、街中でいきなり八重樫(やえがし)幸雄のバッティングフォームの形態模写をしてしまうくらい常軌を逸した行動であるのやないのかしらん、ともうひとりの冷静な自分が顔を出す。モヒカンの青年がライターをもっておらず、しょうがないんでほかの誰かに尋ねてみようとするところまではなんら問題はない。しかしながら、急に席を立ち、そのモヒカンの青年をとおりこして奥の席にいる彼女のもとまでいって「ライターおもちですか?」なんて尋ねたりするのは、やっぱり違和感たっぷりだ。まだ彼女が煙草を吸っているのであれば多少の言い分もあるように思うが、そもそも煙草も吸ってない面識のない人のところにまでわざわざ歩いていって

ライターの有無をたしかめたりするのは完全におかしい。ていうか、立ち上がった時点で本田さんが「どうしたの?」と声をかけてくるであろうし、そのときにライターかマッチを用立ててもらえれば問題は解決するわけで、それをふりきってまで彼女のもとに行き、「ライターおもちですか?」なんて質問をかましたりするのは、もはや変態行為ですらある。うわー、それはあかん。自制せねば。こうなったら、鳴くまで待とうホトトギス作戦でいこう、と家康のようなことを思いながら、どないしょ、どないしょ、と耕太がひとりでそわそわしているところへ、ミックスジュースが運ばれてきた。ついでに、左手の指に挟んだまま一向に火がつかない耕太の煙草に目ざとく気づいた本田さんは、これどうぞ、といってお店のマッチを手渡してくれた。というわけで、とりあえず煙草の火の問題は解決する。
 ミックスジュースを一口すすり、さっそく煙草に火をつけた耕太は気持ちよさそうに煙をくゆらせながら、

なんとはなしにモヒカンの青年のほうに目をやった。青年の肩越しにノートパソコンの画面がかいま見え、そこにはミクシィのトップページが映しだされていた。見覚えのあるオレンジ色の画面だ。
 モヒカンの青年と会ったのはきょうがはじめてだ。当然、面識はない。しかしながら、と耕太は考えた。いま彼がミクシィでなにをやっているのか———すなわち、日記を書いているのか、コミュニティのトピックスに書き込みをしているのか、はたまたそれらのものをただ見ているだけなのか、そのいずれであるのかはわかんないけど、もしかしたらこれまでに彼とミクシィ上ですれちがっているというか、なにかしらのやりとりがあった可能性を完全に否定することはできない。例えば、「左利き♪」コミュ内のあるトピックスにぼくが書き込みをし、そのすぐあとに彼がコメントをつけた、なんてことがあったのかもしれないし、もっというとぼくのマイミクの誰かが彼とマイミクの

可能性だってある。マイミクのマイミクのマイミクの確率だったらさらに高いであろうし、それを何回かくりかえしていけば、そのうちに絶対に二人はつながることになる。しかしながら、それはあくまで確率のうえでの話であって、実際に二人が面識をもつためにはそのあいだに立つ誰かが橋渡しをしてくれないとダメなわけであって、それがないかぎり本人たちはその事実を知りようはないわけなんだけど、そう思うとなんか不思議というか、モヒカンの青年にもなにかしら親近感のようなものを感じなくもないなあ。と、そこまで思ったところで長くなっていた煙草の灰に気づき、灰皿に落とすと、あらためてフィルターを口にもっていって一口吸う。んで、こんなことを思って耕太はなにを自分自身にいい聞かせようとしていたのかというと、いま考えたような可能性がモヒカンの青年にあるのであれば、確率論的に当然奥に坐っている文庫本の女の子にもその可能性があるということじゃないかという、

 

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