夏休みが教えてくれる  |  davinci

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 

夏休みが教えてくれる

ぼくの書いたものをすくなからず読んでくれている人がいるということを実感できるのはやっぱりうれしいことなんだけど、世間的にもほとんど露出していないぼくのところにいきなりファンレターなんて届くんかな? しかもハガキにちょこっとって感じではなく、便箋にみっしり書いてきてる感じやし。と不思議がるところはあったりしたんだけど、なんだかんだいうてやっぱりうれしいもんで、早く読んでみたいなあと人並みにうきうきしてみたりもした。
 一時間半ほどでお好み焼き屋さんを出て、そのまま編集部にもどるというSさんを大阪駅まで見送ったあと、環状線に乗ってぼくは自分の部屋に向かった。

「なにこれ、長谷川くんのこと?」
「まあ、そうといえばそうやねんけど、ちがうといえばちがうねん」
「なによ、それ。でも文芸情報誌の新人賞に入賞してウェブ・サイトに載ったって、まんま長谷川くんのことやんか。主人公の名前もハセガワやし」
「そうやねんけど、小説に出てくる『ぼく』が実際のぼくとおんなじなのかというと、やっぱりちょっとちがうわけで……」
「じゃ、実話ではないってこと?」
「うん、実話ではないな。でも、読者の女の子から手紙が来たってのはほんまのことやねんけど」
 ちょうどそのとき、オーナーの男性がお待たせしました、前からすいません。といってカウンター越しにオムライスを差しだしてきて、清美はそれを両手で受けとった。つづいて、長谷川もお皿を受けとり、カウンターに置いたあと、清美のほうを向いて「おいしそうやなあ」

そもそもヨシダさんって登場人物にはモデルなんかいてないねやんか」
「それって完全に妄想入ってるってことやんね。ちょっとやばいっていうか、作者の長谷川くんにとったら迷惑な話やね」
「たしかにちょっと妄想入ってそうな感じやし、迷惑といえば迷惑な話やねんけど、この手紙を送ってくれた女の子が虚実を混同してぼくにアクションを起こしてきたから、そのレスポンスとして、ぼくも虚実を交えてなにかしらの回答を小説のなかで示されへんかなって、そんなことを思いついてん」
「それで小説にそのことを書いたん?」
「そやねん。まあ、さすがにそれだけやったら小説としてなりたたへんと思ったから、その女の子からの手紙を小説のひとつの軸にして、もう一方で主人公の小説家のハセガワが書く小説という体裁で、

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 

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と実感がこもった感じでいって、「おいしいで」と笑顔で清美がそれに答えた。
「てかさ、読者の女の子から手紙来てんや。すごいなあ。それってファンレターとちゃうん?」最初の一口を食べたあと、清美はあらたまった調子で尋ねた。
「いちおうファンレターの類やとは思うねんけど、内容がよくも悪くもおもしろいというか、ちょっと普通じゃない感じやねん」
「あ、熱狂的なファンで、結婚してくださいとか?」
「いや、そうではないねんけどね」といい、オムライスを食べつつ長谷川は清美にその「ファンの女の子からの手紙」について話して聞かせた。「ウェブに掲載されたぼくのそのデビュー作にヨシダさんていう人物が出てくるねんけど、その手紙の女の子が、そのヨシダさんって登場人物はわたしではないか? みたいなことをいってきてるねんけど、ぼくはそんな心当たりはないっていうか、

だからといって先に入ってきたほうの娘がかわいくなかったのかというとそんなことはなくて、その女の子も十分にかわいかったんだけど後から入ってきた娘はそれ以上にかわいくて、というか長谷川のタイプで、細身で背は高すぎず低すぎずちょうどいい感じ、顔はしっとりというかさっぱりというかなんともいえんおだやかそうな感じで、その表情が落ちつきのある雰囲気をかもしだしているのであるが、笑った顔は愛嬌があって、おしとやかそうなのに明るくて元気がある感じで、一言でいうと、すっごくかわいらしい。
 うわあ。と心中で賛嘆の声をあげた長谷川は、こんな女の子が……というか、まさしくこの娘が、ぼくに手紙を送ってくれた女の子やったりしたらええのになあ。その可能性は限りなくゼロに近いけど、あくまで限りなくゼロに近いのであってゼロではない。天文学的な確率の低さをかいくぐって、あの女の子が手紙の主であるなんていう奇跡が起こったりしたら、

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

小説の中の小説というかたちで、ぜんぜんべつの話を展開していこうと思ってるねんけど」といったあと、長谷川は先日美佐子に語った新作の概要を、あらためて清美にも説明した。
 説明し終えたころにはオムライスはほとんどなくなっていて、二人は食後のコーヒーを頼んだ。オムライスを完食し、二人の元にアイスコーヒーが運ばれてきたときに、女の子二人組が店に入ってきて、反射的に清美と長谷川は入り口のほうに目をやった。女の子たちはカウンター席には坐らず、奥にある空いているほうのテーブルに着く。オーナーの男性がお盆に水をふたつのせながらオーダーを取りにいき、どれにしようかと注文する品を考えている女の子のその弾むような声を背中越しに聞きながら、あの娘(こ)、めっちゃかわいかったやん! と長谷川はひとりそわそわとした。
 あの娘というのはいま店にやってきた二人組のうちの後から入ってきた女の子のことで、

これは大変なことであって、思わず「神さまはいると思った ぼくのアーバンブルーズへの貢献」なんて意味不明なことを叫んでしまいそうだ。うわあ。というか、もしそんなことが本当にあったとしたら、彼女はぼくにとってまさしく運命の女(ファム・ファタール)ということになってしまうわけで、そのことばが過ぎったときにぼくの頭の中に流れたのはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストに入っている「宿命の女(ファム・ファタール)」だったのかというとそうではなくって、おなじアルバムに入っている「ラン・ラン・ラン」という曲だった。なんで? っていわれても困るんだけど、いちおう筋道を立てて考えてみると、まずファム・ファタールという響きからヴェルヴェッツの「宿命の女(ファム・ファタール)」を思いうかべるのは普通というか納得のいくところなのだが、元来天邪鬼(あまのじゃく)のぼくは深層心理というか脳内でもその天邪鬼っぷりを十分に発揮し、

 

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ファム・ファタールの響きから素直に「宿命の女(ファム・ファタール)」を連想するのではなく、ふたつあとに収録されている「ラン・ラン・ラン」を思いうかべた。もしくは、ファム・ファタールの響きからヴェルヴェッツのファーストをイメージし、そこからなんだかうれしいことがあって跳ねまわっているような響きのある「ラン・ラン・ラン」という曲のタイトルが、かわいらしい女の子と遭遇してうかれた気分になっているいまの心境とリンクし、イメージがつながったのかもしれん。
 というか、元来人間の脳はあっちィいったりこっちィいったりするもので、たとえば隣の部屋にハサミをとりにいったらテーブルの上に置いてあったスーパーの広告が目に入り、そうだ牛乳がきのうからなくなっていたんだった、買いにいかなきゃ、ついでにキムチと豚肉と野菜と豆腐を買ってキムチ鍋でもやってみたろかな、わー、それはええ考えだ、あとで買いにいこう。てか、なにしにこっちまで来たんだっけな?

運命の女(ファム・ファタール)から「ラン・ラン・ラン」を連想してもなんら不思議ではないのだ。不思議ではないけど、脳そのものの仕組みみは不思議だよね。無限の宇宙だよね。まあ、詳しくは茂木(もぎ)健一郎さんに聞いてみてください、と思ったところでぼくは茂木欣一(もてぎきんいち)の顔をうかべ、これは「茂木健一郎」と「茂木欣一」の字面がなんとなく似ていることからの連想なんだけど、そこからぼくは『パンダコパンダ』の親子のパンダの顔と「敬虔さ ぼくのアーバンブルーズへの貢献」なんてことばが頭の中を去来し、これらはなんら脈略もなく突発的に脳中を駆けめぐったもので、なんでそのようなことになったのかを理路整然と説明するのは本人のぼくでも無理な話で、まったく奥深いよね、人間の脳って。なんてことをつらつらと考えているときにも先ほど店に入ってきた女の子のことが頭の中の何パーセントかを常に占めていたのだけど、しかしながら、もしあの娘がほんとに手紙の女の子だったらちょっと困るな。

 

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えーと、えーと、えーと、とか思いながら辺りをながめまわしていると棚のところにあったマトゥンビのCDが目に入り、そうだ、このアルバムの二曲目に入ってる「エンパイア・ロード」って曲で空耳を発見して、タモリ倶楽部に投稿しようとすでに官製ハガキまで買っていたのであった。てか、そのハガキどこに置いたんやろ? ちゅーか、以前投稿してまんまとゲットした「空耳かき」どこになおしたんやったっけ? なんてことはいまどうでもいいのであって、というのは言い過ぎで、どうでもよくはないんだけど優先事項的にはいまはそれよりも先にしないといけないことがあって、ぼくはいまその「しないといけないこと」をしないといけないわけなんだけど、えーと、そもそもなにを探しにこっちの部屋まで来たのであったのかな? えーと、えーと、えーと、あ、そうそう、ハサミやんか、ハサミ。みたいな感じに、つぎからつぎへと思考が錯綜していくものであって、

そこから導きだされる答えは「しっかりと、おもしろい小説を書かないといけない」ということだ。自分の娘を犠牲にしてまで大作を完成させた絵師・良秀ばりに芸術に身をささげなければならん。すなわち、女の子と懇ろ(ねんごろ)になりたいなあとか考えてたらいかんわけで、それこそ手紙を送ってくれた相手に気をつかっている場合ではなく、その手紙をネタにするときめたのであれば、小説の完成度を高めるために最大限にそれを活かさなければならぬのだ。そやけどね、ぼくはあのかわいらしい女の子と懇ろになりたいと思ったわけで、そのためにはどないすればええのんかを考え、くだした結論というのが虚心坦懐に小説に取り組む=遠慮せず、女の子の手紙をネタとして思いっきりつかうってことで、そうするとやっぱり本人に合わせる顔がないというか、二人のあいだにぎこちのないものが生まれてしまうのは、これしかたのないところで、そうなってしまうと彼女と懇ろになれない。しかし、彼女と懇ろになるためにはおもしろい小説を書かんといけません。

 

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なんでかというと、実際に手紙の相手と会ってしまったりしたら、それだけでもちょっと抵抗があるというのに、それが、その相手が、あんなにかわいらしい女の子だったとしたら、その人の手紙をネタにして小説なんて書かれへんやんか。すくなくとも遠慮がちな感じになってしまうことはまちがいのないところで、遠慮なんてしてしまうとどうなるかというと当然のようにおもしろさが半減してしまうこと請け合いだし、下手をするとおもしろさ半減どころか、つまらなくなってしまう。うわあ。小説を取るか、彼女との恋愛を取るか……。よく考えねばならぬ。うわあ。いや、「うわあ」じゃない。よく、しっかりと考えないと。そもそも彼女が手紙を送ってきたその理由はぼくの小説を読んだからであって、普通のファンレターとはいえないまでもその内容は好意的な感じで、すなわち彼女は小説を書いているぼくにたいして好意をもってくれている。それがぼくの勘ちがいだとしても、すくなくとも応援はしてくれているわけで、

でも、そのためには彼女を犠牲にしないといけないんずら。うわあ。どうしよう。うわあ。ていうか、語尾に「ずら」つけるって『ドカベン』の殿馬(とのま)の口調やんか、と自分で自分につっこみつつ、ひとりで、うわあ、うわあ、と妄想・仮定の話で頭を悩ませておったのであるが、そんな長谷川を見とがめて、なにそわそわしてるん? と清美が話しかけた。
「小説の構想がいま霊的に降りてきて、その思いつきのすばらしさに、思わずそわそわしてしまっちゃった」
「ほんまに? なんかそんな感じでもなかったような気がするけど」
「まあ一〇〇パーセントそうやとはぼくもよういいきらんけど、八〇パーセントくらいはそんな感じやったね」
「ほんまかあ? いま入ってきた女の子のことでも考えてたんとちゃうん?」疑わしそうに清美がいって、ちらっと女の子たちのテーブルのほうをふりかえった。
 その目線を追うように長谷川は首だけ動かし、

 

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女の子たちを一瞥したあとすぐに元の姿勢にもどして、「たしかにかわいいな」とつぶやき、コーヒーを口にした。
「なんか、好きそうな感じやもんなあ」といいながら、清美もコーヒーに口をつける。
 店内の曲はオザケンからスタイル・カウンシルに変わっていて、清美はなんとはなしに腕時計に目をやった。三時をすこしまわっている。
「長谷川くん、大丈夫なん?」と、清美が腕時計の文字盤を長谷川のほうに向けた。
「あ、ほんまやな。これ飲んだら行くわ」そういって手にしたグラスの中にはもうほとんどコーヒーは残っていなかった。
 やっぱ、わたしもいっしょに出ようかなあという清美に、「ゆっくりしてってな。てか、けっこうひさしぶりに会ったのに、なんかあわただしくってごめんな。

 

用件が用件だけに引き受けんとしょうがないよなと思ってその依頼を承諾し、とりあえず三時半ごろに北区にある編プロの事務所に行って打ちあわせを行い、五時から先方の担当者の方のお話をうかがうという段取りにきまった。すぐに清ちゃんに電話をかけ、事情を説明し、三時くらいまでやったらいけるけど、なんか気忙しい感じになってしまうのも悪いし、また今度にしてもらってもいいよと長谷川は申し訳なさそうにいったのであるが、「また先延ばしにしたりしたら、ほんまにどんどん先になってしまいそうやし、長谷川くんさえよければ、わたしはあしたでもかまへんよ。長谷川くんが帰ったあとは、いつものようにひとりで本読んどくし」と清美がいって、けっきょく二時から一時間、いっしょにランチをするということになったのであった。
「すいません。お会計お願いします」立ち上がった長谷川はカウンターの中にいた男性に声をかけ、「この娘のぶんもいっしょにお願いできますか」と清美のほうを向いた。

ほんま、きのうになって急に電話かかってきたからさ」と長谷川があやまった。
 お世話になっている編集プロダクションから電話があったのはきのうの夜のことで、急な話で申し訳ないけど、今度やるっていってた企業パンフの打ちあわせをしたいんだけど、あしたとかって無理かな? なんて法外なことをいわれ、普通に断ったろかなと一瞬思ったんだけど、それはあくまで一瞬のことで、べつの日に変えてもらえないかとの旨を長谷川は伝えたんだけど、なんでも夕方から先方の担当者が来るらしく、取材って感じでもないけど、そのときにウチの会社のこととか、いろいろとお話しますっていわれて、その連絡が先方からあったのがさっきのことやねん。と泣きつかれ、別件の仕事が入っていたのであればなにをいわれても断るよりほかないのであるが、用事というのは清ちゃんとカフェに行く約束であるわけで、どうしてもあしたでなければいけないってことでもないし、

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

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