夏休みが教えてくれる  |  davinci

第8回

 
中川 充

 
 
 

 
Mitsuru Nakagawa

8

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 
 
 
 

 
 
 
 
 
中川 充

ネット上の読者投票を経てデビューした作家・ナカガワのもとに、一通のファンレター(?)が届いて……

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Mitsuru Nakagawa

 
夏休みがおしえてくれる

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 

夏休みが教えてくれる

 
 
 
 
 
 
 
 
        第8回

夏休みが教えてくれる

 

●連載第六回

 店に入ると、どこかで聴いたことあるイントロがちょうど流れだしたところで、すぐに「BUDDY 争いも恋も しかたない それが夏休み/PANIC それなりの事態 無理もない それが夏休み」と歌がはじまって、あ、小沢健二の「BUDDY」や、と清美は思って、「懐かしいなあ」といいつつふりかえって長谷川の顔を見てみたんだけど、え、なにが? なんてことをいいながら、え、なにが? みたいな表情を長谷川はつくった。
 カウンターのちょうど真ん中の席に中年の男性がひとり坐っており、あとは奥のテーブルにカップルが一組いるだけで、店内は比較的閑散としていた。空いてるときはいつもここに坐ってるねんといって清美がカウンターのいちばん奥の席のところまで行ってそこに坐り、ひとつ横の席に長谷川が腰かけた。

「これ小沢健二やん。懐かしくない?」清美はちらっと視線を上にやったあと、長谷川のほうを向いてあらためてその話題をふってみたんだけど、懐かしいってそれのことか、この曲は知らんわ。でも、いわれてみたらたしかに小沢健二やな。なんてことを長谷川がいって、えー、知らんの? うん、ファーストと『ライフ』と『球体で奏でる音楽』ってアルバムはもってるけど、この曲ってそんなかに入ってないやろ? とかいいあってるとカウンター越しにオーナーの男性が水を出してくれて、二人はオムライスを注文した。
 三か月前に堀江に引っ越してきて、そろそろ新しい環境での生活にも慣れてきたころに、ちょっぴりくつろいだりできるいい感じのカフェなんかが近くにないかなあと何件かお店をまわり見つけたのがこの「耳鳴り」というカフェで、ネーミングは微妙な感じであったがとにかくオムライスが絶品で、なによりフィッシュマンズがよくかかるのが清美には心地よかった。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

夏休みが教えてくれる

 

そんなわけで、二か月ほど前から休日の土曜日の午後は毎週足を運び、お店がよっぽど忙しそうでないかぎりは夕方まで本を読んで過ごしていたわけで、さすがにそうなってくるとオーナーの男性とは顔見知りになるというか、来店時と店を出るときに軽くあいさつを交わすくらいにはなっていて、特別仲がよくて頻繁に世間話をするとかではないけど、お店の中ではそろそろ常連客のひとりとみなされるようになっている感じではあった。
 そういえば、前回か前々回に来たときにフリッパーズ・ギターかかってたな。その流れでいまも小沢健二がかかってるんかな? んなこと思いながら、あらためて美佐子は音楽に耳を傾けた。

 心配かけてごめんな “その通り!”その通り!
 最終的にはどーなるか? “夏休み”
 甲斐性がなくてごめんな “その通り!”その通り!
 最終的にまとまるか? “夏休み”オー、夏休み

 と、元気よくオザケンが歌ってた。しかしながら、きのうから九月に突入し、もう夏休みは終わってるのに、あえてこのタイミングでこの曲もどうなんよ? なんてことを清美は思い、ふと、今年はどこかに旅行に行くぞと計画していた自分の夏休みに想いがいって、けっきょくどこにも行けなかったというか行かなかったし、最終的にどうにもならなかったな、と他人事みたいな感じでふりかえりながら、がさごそと音がするので横を向いてみると、長谷川が鞄の中からクリアケースを出し、その中に入っていたA4サイズの用紙三枚を清美に手渡してきた。
「これ、いってたやつ」
「あ、もってきてくれたんや。ありがとう」お礼を述べながら、清美は用紙を受けとった。
 長谷川が堀江に住んでいたことを美佐子はこっちに引っ越してきて一か月ほどたってから思いだし、思いだしたつぎの日には「せっかくご近所さんになってんから、一回ご飯でもいこうよ」とお誘いのメールを入れ、

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

すぐにでも会う勢いでお互いにやりとりをし、実際に二人ともそのつもりだったんだけど、なんだかんだでなかなかタイミングが合わず、夜が難しかったらべつに昼でもいいんとちがう? と長谷川が提案したときに、オムライスがすっごくおいしくてフィッシュマンズがよくかかるカフェがあるよと清美が「耳鳴り」を紹介し、じゃ、そこにしよっかと意見がまとまって、きょう、やっとその会合が実現したのだった。んで、長谷川が今度小説の連載がきまり、そろそろその執筆に取りかかることを聞いた清美は、読まして、読まして! とはしゃぎ、断りつづける長谷川にたいし、いま書いてるとこちょこっとでもいいから、お願い、お願い! と長谷川が不思議がるほど執着してきて、はっきりいってなんのかたちにもなっていないような状態で原稿を見せることには抵抗があったんだけど、清美があまりにもいうもんだからしぶしぶ長谷川も了承し、いま彼女に手渡したのがまさしくその原稿なのであった。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

夏休みが教えてくれる

 

「まだ三枚目の途中までやけど、ワードの四〇×三〇でやっているから、それで四百字詰換算で六、七枚くらいかな」
「こんだけしかないの?」
「だって、まだそこまでしかできてないねもん」
「嘘やん。もっと、あるんとちゃうん?」と笑いながら、疑わしそうな目で清美は長谷川の顔をながめたが、「ほんまやって」と長谷川は受けつけず、ほんまあ? とかなんとかいいつつ、とりあえず清美はその用紙に目を落とした。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 長い長い夏休みがはじまった。って、学生のときみたいにいつからいつまでときめられた期間があるわけではなく、はじまらせるのも終わらせるのも自分の勝手、「長い長い」というその期間もぼくの匙加減ひとつなわけで、ぼくが「長い長い」というてるんだから当然それは長く長くつづくわけで、なんでかというと会社勤めではなくフリーで仕事をやっているからで、その仕事が夏場はどえらくヒマだからだ。かかわっているジャンルによってまちまちだとは思うんだけど、ぼくがやってるコピーライティングの仕事にかんしては冬場忙しく夏場ヒマで、その上下の波がたいがい激しく、それがどれくらいのものであるのかというと全盛期の大魔神・佐々木のフォークボール級で、すなわちびっくりするくらいの落差があるというわけである。だもんで、冬のあいだにがつんと稼いで(正確に調べたことはないけど、年収の七割方はこの時期のものだ)そこで貯めこんだお金で夏場はなんとかしのいでいくという、

まさにアリさんと逆のような感じの生活を送っているわけで、このような一年のサイクルだから必然的に夏休みも長くなっちゃうというわけなのだ。だからといって、夏休みの期間中まったくなにもしないのかというとそんなことはなくて、たまに入る単発の仕事をこなしたり、たまりにたまった未読の本をつぎからつぎへと読みあさったり、小説の執筆に取り組んだり、やることはそれなりにいろいろとあるわけである。
 そんなわけで毎日毎日ヒマでしょうがねぇ、って感じでもなく、自発的にあれこれとすべきことをこなし、それはそれでけっこう充実していたりもするんだけど、今年はひとつ夏休み中に思いきって旅にでも出かけたろかしらん、と思ってみたりした。なんでまたそんなことを思いたったのかというと、これがとくに理由はなく、南の島に行ってのんびりするのもええのんではないかしらなんてベタなことが頭を過ぎり、過ぎったら過ぎったで、これはすごくいいアイデアではないかと色めきたち、

 

夏休みが教えてくれる

ようし旅に出よう、旅に! とひとりで意気ごんだというわけである。
 と、そんなところへ、七月の上旬に担当編集者のSさんから連絡が入った。なんでも来週京都に出張に行くことになり、仕事は昼過ぎには終わるので、ご都合がつけば大阪でいっしょにメシでもどうですか? とのことで、ご都合がつくもなにもぼくは現在長い長い夏休みの真っ最中というわけで、ぜんぜん問題ありませんのでとふたつ返事で了承したのであった。
 当日はいかにも真夏って感じの暑い日で、一時にSさんと梅田で待ちあわせ、駅から十五分ほどのところにあるスカイビルまでだらだらと歩き、ビルの地下にあるお好み焼き屋さんで遅めの昼食をとることにした。昼間やし、ビールは一杯だけにしときましょうといいつつ二人して二杯か三杯飲んだのはまあええとして、なんの話をしたのかというと大したことは話してなかったりするんだけど、

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

夏休みが教えてくれる

 

具体的な仕事の話としては小説の次回作についての話題が出て、来年一月発売号から誌面の文芸コーナーを拡充する予定で、そのタイミングで新連載をお願いしようかと思っているんですけど、新作とかはもう書きはじめてたりするんですか? ええ、まあ、ぼちぼちですかね。いつくらいに初稿が出来あがりそうですか? わかんないですけど、秋くらいだと思うんですけどねえ。と、まあだいたいこんな感じの会話があって、とりあえず十月くらいをメドに初稿を完成させ、その後何度かやりとりをし年内中にいったん原稿を仕上げ、それを連載形式に小出しにしていき、毎月掲載する分の原稿を最終チェックしていくということで、今後のだいたいの話がまとまった。
 そのあとはお好み焼き食ってビール飲みつつ雑談してたわけなんだけど、「あ、そうだ」と突然Sさんがなにかを思いだしたように隣の椅子に置いていた鞄をたぐりよせ、なかから封筒を取りだすと、ぼくに渡してきた。

 

 「これハセガワさん宛に編集部に届いたんですけど、お渡ししておこうと思って、もってきました」
 雑貨屋さんなんかで、小洒落た感じのレターセットが売ってるのを見かけることがあるが、手渡された封筒はまさしくそんな感じで、見るからに紙質もよさそうな感じだった。手に取ると数枚の便箋がなかに入っているらしい厚みを感じる。東京都渋谷区からはじまる編集部の住所が書かれてあり、Sさんがいうようにその横に「長谷川晃一様宛」とあって、裏面を見てみると、フジタエリコとカタカナで名前だけが書かれてあった。
 「女の子ですね……って、年齢書いてないから、もしかしたらご年配の女性の方かもしれませんけど。ファンレターなんかな」
 「まあ、そんな感じじゃないでしょうかね」
 その重みをたしかめるように手のなかで封筒をぽんぽんやりながら、当然のようにぼくは中身が気になった。普通に考えたら、小説おもしろかったです。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

夏休みが教えてくれる

次回作が早く読みたいです、それではがんばってください。みたいなことが書かれてあると思われるんだけど、封筒の厚さが気になる。なにをそんなに書くことがあるのであろうか?
 ぼくがその文芸情報誌が新たに立ちあげた文学賞で編集長特別賞をいただいたのは今年の春のことで、同雑誌のウェブ・サイトに期間限定で六月から受賞作が掲載されていた。というわけで、サイトにアップされてからいまで一か月半ほどの期間がたっているわけだが、世間にたいして大々的に宣伝されているわけでもなし、ネットで小説なんか読む人がはたしてどれくらいおるのかしらん? しかもまだ名も知られていない新人のものを……なんて懐疑的な気持ちになっていたのであるが、こうして手紙を届けてくれる人がいるということはちゃんと読んでくれている人もいるということで──じゃないと、見も知らない女性から編集部にぼく宛の手紙が届くわけがない──