夏休みがおしえてくれる  |  davinci

 
Mitsuru Nakagawa

 
 
 

 
中川 充

第5回

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ネット上の読者投票を経てデビューした作家・ナカガワのもとに、一通のファンレター(?)が届いて……

第1回から読む

 
 
 
 
 
Mitsuru Nakagawa

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 
夏休みがおしえてくれる

 
 
 
 
 
中川 充

 
 
 
 
ブンゲイ ダ・ヴィンチ

夏休みがおしえてくれる

 
 
 
 
 
 
 
 
        第5回

●連載第四回
 マンション横の自転車置き場の壁にもたれかかりながら、到着したことを知らせるメールを打とうと美佐子が携帯電話を取りだしたときに、前の道を東のほうからゆっくりとした足取りで歩いてくる人影が見えて、そちらのほうをじっと見ているとマンション前の街灯に顔が照らしだされ、その人物が田辺だと確認したところで美佐子は声をかけた。
「あ、けっこう待った?」
「いま着いたとこ。部屋の明かりがついてなかったから、とりあえずいま着いたよってメールしよっかなと思ってたとこやった」
「それだったらよかったんだけど」そういいながら田辺が先にマンションの玄関に入り、エレベーターのボタンを押す。三階にあったエレベーターはすぐに下までおりてきて、二人は四階にある田辺の部屋に向かった。

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 ここに来るのは一か月以上ぶりだった。鍵を開け、先に入っていく田辺につづいて部屋に足を踏みいれると、なんだかすこし懐かしいような気分がしたけど、たかだか一か月ちょっとぶりくらいでそんなふうに感じるのはちょっと大げさかな、なんてことをぼんやりと美佐子は思った。
 玄関から入ってすぐの申し訳程度のスペースのキッチンを抜け、奥の八畳の部屋に入って床に坐る。エアコンのスイッチを入れたあと、田辺はキッチンにある冷蔵庫を開けて中を物色し、これしかないけどとテーブルの上に爽健美茶の一・五リットルボトルとグラスを置いた。
 南向きのベランダに並行するように置かれた壁際のベッド、部屋の真ん中に置かれた小さなテーブル、必要以上に四角いかたちをした旧型のテレビ、ヤフーオークションで格安で落札したと何度も田辺が自慢げに話したマランツのアンプとCDデッキ……。美佐子が前に来たときと部屋の様子はなんらかわっていなくて、まあひさしぶりといっても一か月ちょっとくらいの話なんだから、

急激に部屋が変わってないことのほうが普通だと思うんだけど、まったくといっていいほど代わり映えのしない部屋の様子に、美佐子はなんだかすこし残念なような、安心したような気分になった。
 ペットボトルのキャップを取り、コップにお茶をそそいでいる美佐子の前に、缶ビールを手にした田辺がもどってくる。
「まだ飲むの?」
「うん、そんなに飲んでなかったから、まだちょっと飲み足らない感じだったし」
 ふーんと美佐子がうなずいたのと、缶ビールのプルタブが開いたのとがほぼ同時で、ぐびぐびっと田辺がビールを流しこむ。缶から口を離し、はあ、と一息ついたところで田辺は思いだしたようにニット帽に手をやって、脱いだ帽子をテーブルの上に置く。ぺっしゃんこになっているモヒカンを見るともなしに見て、なんとはなく手もち無沙汰になった美佐子はお茶に口をつけた。

 

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 それぞれ缶ビールとコップを下におろしたところで目が合って、べつに気まずくはなかったんだけどなんかいったほうがいいかなくらいのことはお互いに思って、先に「CDでもかけよかっか」と田辺が立ちあがり、プレイヤーに近づいた。「なにか聴きたいのある?」
「なんでもいいよ」
 そのことばに軽くうなずきながら田辺はCDラックのなかを無作為に物色し、たまたま手にしたビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』をデッキに入れ、テーブルにもどってふたたびビールに手をかけたときに、「あ、知ってた? 心斎橋のタワーレコードが今月いっぱいで閉店するらしいよ」思いだしたようにそんなことをいった。
「ウソ? なんかなくなると思うと寂しいなあ。そんなによく通ってたわけじゃないけど。あとになに入るんやろ? なんか書いてなかった?」
 缶ビールに口をつけながら、わかんない、と田辺は首をふった。スピーカーからは、一曲目の「素敵じゃないか」

 

なんともいえない寂しい気分になったっていってた」
「あ、なんかその感じわかるかも」いいながら、その話とタワーレコードの話はまたちょっと微妙にちがうような気もするけど、そうかといってぜんぜん的外れなわけでもないし、なかなかうまいことリンクしているところもあるな、なんてことを美佐子は思いながら、べつに田辺とはこれからもずっとつづいていって最終的には結婚すると思っていたわけではないどころか、そんなことは考えたこともなかったけど、やっぱりいざ別れるとなったら寂しいもんで、そう感じるのは夏休みが終わることとかタワーレコードが閉店するのとおんなじような感じなんかなあ。でも、それもなんか微妙にちがうような気もするけど、やっぱりちょっとリンクしてるような気もするし、ようわからへんなあ。
 そんなことをぼんやりと美佐子は思いながら、いまかかってる曲ってなんか聴いたことあるな、歌ってるの誰なんやろ? と思って田辺に訊いてみた。

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が流れだした。
「今年で十七年目っていってた。でも、十七年もやったら、それだけの期間よくやってくれましたって、なくなったとしてもなんかあきらめもつく感じがしない?」
「たしかにそれもあるかもしれへんけど、逆に十七年もつづいてたら、そこにそのお店があるのがあたりまえになって、なんかうまいこといわれへんけど、ずーっと、半永久的にそこにありつづけるような気になったりせえへんかな」
「夏休みといっしょだ」
「なにそれ?」
「さっき及川さんがいってたんだけど、小学校のときとかって夏休みがはじまった最初のころはずーっと終わることなくつづいていく気がしてたっていっててさ。だけど、当然夏休みは一か月ちょっとで終わってしまうわけで、そんなふうにずっとつづくと思ってた夏休みがいよいよ終わるってときになって、その現実に直面したときに、

「ビーチ・ボーイズ。たぶん部屋にいっしょにいてるときに一回くらいはかけたことあるから、ぼくんちで聴いたんじゃない?」
 そうかなあ、と美佐子は曖昧にうなずいた。「素敵じゃないか」が終わって、いまは二曲目の「僕を信じて」が流れており、ブライアン・ウィルソンのリードヴォーカルが心地よい響きを奏でている。
 そこで二人ともことばの継ぎ穂をなくしたかのように黙ってしまい、だからといって気まずい雰囲気になったのかというとそんなこともなくて、すくなくとも美佐子はなにかいわへんと空気が重いやんとか思っていたわけじゃないんだけど、いまふっと思いだし、しなっとなっている田辺の髪の毛を一瞥したあと、「前にさ、わたしの友だちが小説の新人賞に入選したっていってたやろ」と話しだした。「その子が、今度受賞第一作として新しく連載がスタートするっていっててんけど、よかったら読んであげてな」

「すごいじゃん。連載は読めたら読むけど、単行本になったときは絶対に買うよ」ちなみに、なんて名前の人なの? そういいながら田辺は立ちあがって、手にもった缶ビールをゴミ箱に捨てると冷蔵庫から二本目をもってきた。
「長谷川晃一っていうねんけど、また見てみて」
「本名で書いてるの?」
「うん、たぶんペンネームはつかってなかったと思う。なんかそんな話をしたときに、丸木戸佐渡ってペンネーム考えてんけどとかいってたけど」
「マルキ・ド・サドって、あのフランス人の?」いいながら、田辺が二本目の缶ビールを開けた。
「そうそう。それに江戸川乱歩みたいな感じで漢字を当てていって、それをペンネームにしよかなあって一瞬思ったそうやねんけど、あくまでそれは一瞬のことで、そんなんにしたらいちびってると思われるし、やめとくことにしてんっていってた。

 

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美佐子は新たに爽健美茶をコップにそそいだ。八分目までお茶が入ったコップをゆっくりと口までもっていきながら、もう二度とこの部屋に来ることはないかもしれへんな、とぼんやりとそんなことを思った。
 きょうは別れ話をしにここに来たのではない。でも、二人が別れるのは二人のなかでは暗黙の了解事項のようになっており、別れることになること自体はわたしもわかっているし、当然相手もわかっているはずだ。だからといって自然消滅になってしまうのは嫌だったし、このままだらだらとお互いに会わない日数を重ねていけば、それこそなしくずし的にずっと会わなくなって自然消滅してしまう。そういうのが嫌で、多少スケジュール的に強引なところはあったけどきょう無理をしてこうして会っているわけなんだから、なにかしらそういった話をしようと思うんだけど、本人を目の前にするとなんだか話を切りだしにくくって、そうかといって向こうから話してきてくれないことに腹を立てているわけでもないんだけど、

そういえば、第二候補には村上龍之介ってのを考えたっていってたわ」
「どっちにしても、やめておいて正解だね。確実に大成しそうにないし、仮に注目を浴びたとしても、その名前だと色物扱いされて終わりそうだし」
「うん、わたしもやめといて正解やと思うわ。まあ本人も本気でつけようとは思ってなかったと思うけど」
 しかしながら、なんでまたいまこんな話をしてるんやろうと思いながら、美佐子は残りすくなくなっていたお茶を一気に飲みほした。部屋には引きつづきビーチ・ボーイズが流れており、意識をするとエアコンのぶーんという音も聞えてくる。田辺は片膝つきながら目線をCDデッキのほうに向け、ときおりぺっしゃんこの髪の毛をかき上げながら間歇的にビールを口に運び、熱心にビーチ・ボーイズに耳を傾けていた。
 べつにいまの状態が苦痛とかではないけど、なんだか手持ち無沙汰になって、

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

部屋の真ん中に坐り、お茶を飲んで、ビーチ・ボーイズを聴いているあいだにだらだらと時間は過ぎていく。だからといって、焦っているわけでもないし、いまの状態が苦痛なわけでもないんだけど。
「この曲」いきなり田辺が声をあげた。「『スループ・ジョン・B』っていうんだけど、あきらかにこれまでの曲とテンションっていうか、雰囲気がちょっとちがう感じでしょ」
「ようわからへん」いきなりなんの話やねん、と思いながら美佐子は答えた。その話題自体どうでもええような感じではあったので適当に流してもよかったのであるが、意識して聴いてみてもそれまでの曲と比べて著しく変わっているとも思わなかったし、実際によくわからなかった。
「このアルバムは『ペット・サウンズ』っていうんだけど、ビートルズの『ラバー・ソウル』を聴いたブライアン・ウィルソンがその完成度に驚いてしまって、

身近な恋愛を歌って、ただ単にポップであるだけの楽曲をつくっていたのではダメだと思ってつくったアルバムなんだけど、実験的な音づくりにチャレンジして、一枚のアルバムとして統一性のあるものを———いまでいうところのトータル・コンセプト・アルバムをつくろうと、コンサート・ツアーを断って、トニー・アッシャーって人と二人で楽曲を制作していったんだけど……まあ、このブライアン・ウィルソンって人はけっこう偏執的なところのある人で、その後精神的にちょっとおかしくなってしまったりもしたんだけどね」
 なにをいっているのか半分以上わからなかったが、こちらが理解しているかどうか忖度(そんたく)することなく、田辺が自分が好きなことについて熱心に話すなんてことはいまにはじまったことではなかったので、いまこちらに顔を向けられたときも、いちいち聞きかえすようなことはせず、美佐子は相づち程度に適当にうなずいておいた。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

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