晴れた日は、  |  davinci

 予定の一時間半が過ぎるのはあっという間だった。
「では、そろそろ時間がきたようです。最後の亮介くんの質問は、宇宙飛行士になるにはどういう訓練を受けるか、でしたね。その話は次回にします」
 えーっ、と子供たちは不満そうに声を上げた。どうせならその話をしてから終わりにすればいいのに、と菜美も思ったくらいだ。
 しかし、結局、授業は時間どおりに終了して、子供たちは賑やかに今日の内容について語り合いながら帰っていった。バイバイ、と手を振る子供たちに、康孝も手を振り返していた。
 こうして授業を聞いてみると、今でも塾生だ、という康孝の言葉の意味が分かった気がした。こういう内容なら、大人が聞いていても充分に面白いし勉強になる。
 子供たちがみんな帰り、見送りに表に出ていた増渕が戻ってくると、
「さて、僕はこれで」
 と康孝は傍らに置いてあったバッグを掴んで立ち上がっ

 

晴れた日は、
お隣さんと。

れくらいウンコをするのか、などと子供たちの思い付く質問に限りはなかったが、増渕は少し考え込むことはあっても、全ての質問に答えていった。ちゃんと具体的な数値も挙げているから、決していい加減な答えを返してはいないことが分かる。
 やがて恐竜が全滅した原因が巨大な隕石によるものである、という話に差し掛かったところで、子供たちの興味は急に宇宙へ向けられたらしく、どれくらいの数の星があるのか、太陽まで走っていくとしたら何日くらいかかるのか、などというそれまでとは全く別の質問が飛び始めた。増渕は話の流れを修正することもなく、今度は宇宙について詳しく説明していく。
 初めのうちは子供たちが質問する様子を微笑ましく眺め
ていた菜美も、いつしか増渕の話の内容自体に興味を惹かれるようになっていた。もちろん、大人からすれば常識の話もあったが、子供たちは思いもよらない切り口からの質問をすることが多く、増渕がどんな答えを出してくれるのか、菜美もわくわくしながら待つようになった。 

「きっと気に入ってくれると思いますよ」
 そう言い残し、今度こそ康孝は帰っていった。
 やっぱり変な人だなあ、と思いながらも、菜美はくすぐったいような嬉しさを感じた。
 残ったのが二人だけになると、増渕は一度奥の部屋に入り、再びお茶を運んできてくれた。
「どうでした、退屈しませんでしたか?」
 お茶を啜ってほっと一息吐いてから、増渕が尋ねてきた。
「はい、すっごく面白かったです。……昔からずっとこういう授業をしていたんですか?」
「いえ、塾を開いたばかりの頃は、ちゃんと国語や算数なんかを教えようと思っていたんですが、いつの間にか今みたいな状態になっていましたねえ」
「子供たちは楽しそうでしたけど、その、親御さんたちから苦情が来たりはしないんですか? 幾ら面白くてためになっても、学校の成績にはなかなか繋がらないような……」

 

晴れた日は、
お隣さんと。

た。
「もう帰るんですか?」
「この後、ちょっと約束があるんです。次に来たときはゆっくりさせてもらいますよ」
 康孝はそう言うと、菜美には小さく頭を下げただけでドアに向かった。
 その素っ気ない態度からすると、康孝は菜美に何の興味も持たなかったようだ。別に変な期待をしてたわけじゃないんだから、と菜美は胸のうちで自分に言い聞かせながら、その後ろ姿を見送った。
 と、ふいに康孝は立ち止まり、バッグをごそごそと探り出した。中から取り出したのは、先ほど読んでいた新書だ。
「これ、先生に勧められて買った本なんだけど、面白かったから読んでみます?」
 康孝は菜美のところまで戻ってきて、本を差し出した。
「え、あ、……それじゃ、せっかくなんで」
 菜美はそっと手を伸ばして本を受け取った。

 菜美が改めて礼を言うと、
「いえ、大したお構いもできませんで。もしよかったら、また遊びに来てください」
 と増渕はにこにこ笑いながら外まで見送ってくれた。
倉庫、ではなく増渕の家を出ると、もうすっかり日が落ちてしまっていた。道路のずっと向こうに街灯が一本立っているだけで、辺りは真っ暗になっている。目が慣れるまで待ってから、側溝に落ちないよう注意しながらアパートに戻った。
 それにしても、午後に家を出るときにはまさかこんな成り行きになるとは思ってもいなかった。知らない土地で一人暮らしすることに不安と緊張を覚えていた菜美にとって、山岸、増渕、そして康孝と、近所に顔見知りができたことは本当に心強い。きっと佳織はあれこれ気を揉みながら待っているだろうから、早く報告して安心させなくては。
 妙に気分が高揚した菜美は、アパートの外階段を一気に駆け上がった。

「ここがどういう塾なのか、この辺りの人はみんな知ってますから、子供のテストの点を上げたい親は最初から通わせたりしないんだと思いますよ」
 増渕は屈託のない笑みを浮かべて言った。
 そんな増渕を眺めていると、昔はどこかの大学で教授をしていた、という山岸の説明が自然と思い出される。あのときは胡散臭く聞こえたものだが、今では、もしかしたら本当なのかもしれないという気がしていた。ちょっと変わっているところも、学者肌の人間であると考えれば納得だ。
 この機会に直接確かめてみたい気もしたが、教授だった人がこんな田舎町で子供相手の塾を開くようになるまでには、きっと複雑な経緯があったに違いない。会ったばかりでそこまで踏み込んだ質問をするのはさすがに気が引けた。
 それから、しばらく世間話を交わした後、お茶を飲み終えたところで菜美も帰ることにした。
「色々とありがとうございました」

晴れた日は、
お隣さんと。

 

晴れた日は、
お隣さんと。

 背後に妙な気配を感じたのは、ドアの鍵を開けて部屋へ入ろうとしたときだった。
 そっと振り返った菜美はぎくりとする。アパートの前の道路から、じっとこちらを見上げている女の姿が目に入ったからだ。まだ若い、二十歳くらいの女で、睨むような目つきをしている。
 菜美と目が合うと、女はすぐに暗がりの中に姿を消した。
 しばらく呆然としてから、菜美は外廊下の端まで行って道路を見下ろした。しかし、闇に紛れてしまって女の姿を見つけることはできなかった。
 せっかく増渕の正体が分かってほっとしたところなのに、また妙な人間を目撃してしまった。ただ、女と目が合ったのは一瞬のことだったので、前の道を歩いていた通行人が偶然こちらを見上げただけなのかもしれない。見るからに不審な人物だったわけでもないし、少し神経を尖らせすぎだろうか。
 気を取り直した菜美は、廊下を引き返した。

 部屋に入ってベッドの上に転がったとき、携帯電話が鳴り始めた。ポケットから取り出してみると、佳織からの電話だ。
「佳織、どうしたの? アルバイトは?」
「ちょっと抜け出てきたんだよ。そっちがどうなったか心配で」
「えー、わざわざありがとう」
「で、例の男はどうなったの?」
「それなんだけど、聞いて聞いて」
 菜美が声を弾ませて言うと、
「ちょっと、なんでそんなに嬉しそうなの」
 と佳織は戸惑ったように応じた。
「まあ、聞けば分かるさ」
 菜美は笑って、夕方からの出来事を説明し始めた。

 

 






     続きは文庫で
    お楽しみください。

 

晴れた日は、
お隣さんと。

Eiichi Fukuda

晴れた日は、お隣さんと。

福田栄一

 
 
 

1977年、愛媛県生まれ。2003年に『A HAPPY LUCKY MAN』(光文社)でデビュー。ミステリーからコメディ、青春小説、文芸まで多彩に書きわける、注目の新鋭。近著に、『監禁』(講談社)や短編が収録されたアンソロジー『Re-bornはじまりの一歩』(実業之日本社)、『学び舎は血を招く メフィスト学園1』(講談社)など。

出版社:メディアファクトリー
発売日: 2008/06
文庫:306ページ
ISBN : 978-4840123501

福田栄一

 
晴れた日は、
お隣さんと。
  • 著者:福田栄一
作 成 日:2008 年 12月 26日
発   行:福田栄一
BSBN 1-01-00021841
ブックフォーマット:#431

そばにいてほしい、ほっと安らぐ友だち。
「ダ・ヴィンチ」好評連載作品が文庫化!

引越し初日、新居の窓から奈美が見たのは、全裸の男!変わり者の隣人・増渕と、クセのある双子の娘たち、そして心惹かれる青年・康孝にかこまれ、騒がしくも楽しい新生活が始まる。だけど増渕には、過去に秘密があるようで・・・・・・。

社会人一年目、新生活に胸を膨らませる菜美が、新居の窓から目にしたのは、なんと全裸の男だった!子供たち相手に塾を営む元大学教授の増渕は、ちょっと変わったお隣さん。のんびりとした人柄の反面、無邪気で奇抜な行動に驚かされてばかり。家族とは別居、大学を辞めた経緯も不明と、謎も多い増渕だが、どうやら過去に秘密があるらしく…。

Eiichi Fukuda

 

  
 





『ダ・ヴィンチBCCKS』では、書き下ろし
小説の他、ダ・ヴィンチより刊行されている
書籍の「試し読み」もどんどん更新されて
いきます。
今後もお楽しみに!

福田栄一