夏休みがおしえてくれる  |  davinci

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

夏休みがおしえてくれる

 

「視線感じて最初はちょっと恥ずかしかったけど、そらモヒカンの人が店んなかに入ってきたら見るわなあと思った。んで、妙に納得したら、田辺くんのモヒカンを見てそのおんなじ席にいるわたしを見たら、この二人はどういう関係なんやろ? とか思われてんのかなあと思って、なんか笑けてきてん」といって、いまもうれしそうに京ちゃんは笑った。
 モヒカンにしたのは今年の四月のことで、ちょうど学校がはじまって二週間ほどがたったころ、ゴールデンウィークに入る前のことだった。クラスメイトはもちろん、担任や講師までもが驚き、その驚きのあとには好奇心がやってきたようで、なんで? どうしたの? とみんなから尋ねられたわけだけど、田辺はうまく答えられなかった。特に理由はなかったから。誰かに憧れてモヒカンにしたわけでもないし、うれしいことでも悲しいことでも、なにかしら

心境に変化を来たすような大きな出来事があって突発的にやってしまったわけでもない。なんとなくやってしまったのだった。特に意味はなかった。
 行きつけの美容室でお願いしたら、ほんとにいいんですね? とバリカンを入れるまでに三回も確認され、そのつど「はい、いいですよ」と他人事みたいに答えていたんだけど、鏡に映しだされたカット後の自分の姿を見て、わあ、やっちゃったと田辺は思った。わあ、やっちゃったとは思ったけど後悔したわけではなく、べつに落ちこんだりもしなかったし、モヒカンにしたことについてまわりの反応ほど自分ではなんとも思っていなかった。だからといって特別気にいったわけでもないんだけど、最近になってそろそろ飽きてきたなとは思っていて、近いうちにいったん坊主にしようかなあとは考えていた。そのことをいま京ちゃんにいうと、えー、やめちゃうの、と田辺が大袈裟に感じるくらいに残念がった。

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「べつに嫌がってるわけじゃないですけど、さすがにずっとこれでいくわけにはいきませんから、そらいつかはやめますよ」
「まあ、そらそやね。ほいでさ、どうせ坊主にするんやったらわたしにやらせてくれへん? バリカンでやるんでしょ?」
「すごくやりたそうな感じじゃないですか。やりたいんだったらべつにやってもらってもいいですけど」
「やりたい、やりたい。なんか相撲の止めバサミみたいでおもしろそうやん」
「止めバサミってなんなんですか?」
「ほら、相撲でさ、引退する力士が最後に土俵に上がって、師匠とか後援会の人とかにちょっとずつハサミ入れてもらって髷を切っていくやつあるやん」
 説明を聞いて、そういえばそんなのありましたねと納得いったが、バリカンで刈るだけなんだから、あっという間に終わってしまいそうな気もするし、本当の止めバサミの

ときのような感慨とかも特にはわいてこないと思うんだけど、坊主にするくらいならわざわざ美容室に行く必要もないし、なんだったら自分でやろうかなと思ってたくらいなんで、やってもらえるんならそれはそれでいいかと田辺は思って、快く京ちゃんの申し出を受けいれた。
 そんなことをとりとめもなく二人して話しながら東心斎橋をぶらぶら歩いているうちに、予約を入れたモツ鍋屋さんに到着する。
 ビルの一階にあるその店の入り口を入ると、細長い道が奥へとつづき、十メートルほどいったところで左右に分かれ、ちょうどその前に立っていて「いらっしゃいませ」と声をかけてきた店員に予約している旨を伝える。右に入っていくと奥に座敷があり、左に入るとすぐにテーブル席があって、二人は左のほうに案内された。長方形をした空間の向かって左側の壁から正面の壁にかけてL字型のカウンター席があつらえられており、右側にはテーブル席が四席あって、店内はほぼ満席だった。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
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 二人がとおされたのは左側のカウンター席の奥からふたつ目で、壁に向かって並んで席についた。鍋には白味噌ベースと醤油ベースと、あとひとつチゲ鍋のような色をした辛そうなやつの合計三種類があって、右隣に坐っていたカップルがその辛そうなのを頼んでいて「辛い、辛い」といっていただけに留まらず、額からいっぱい汗をかいているのを見てそれはやめておくことにし、けっきょくいちばんノーマルそうな醤油ベースのやつを注文する。
「田辺くんさ、たとえばいまこのお店のなかで、近くのテーブルにめちゃくちゃかわいい娘がおって、それがもうめちゃくちゃタイプな感じで、一言でいうと一目惚れしちゃったような感じになったとして、その娘に声かけたりする?」
 おつかれーと生ビールで乾杯した直後、京ちゃんがおもむろに田辺に訊いてきた。

「急にどうしたんですか? まあ、なんとかしたいとは思うと思うんですけど、現実的には声かけないんじゃないですかね」
「でも、めっちゃ田辺くんのタイプで、ここでなんとかせんと二度と会うこともないかもしれへんねんで」
「でも、やっぱりなかなか声かけにくいじゃないですか。普段からそういうのに慣れてる人だったらまたべつなんでしょうけど」
「そしたらさ、そのときは声かけられへんかったとして、後日またこのお店に来たときに、たまたまそのめっちゃ好みの女の子とまた会ったとしたら、そのときはどうする?」
「また会ったりしたら、ちょっとは運命的なものを感じて、うわーとは思うでしょうね。それでも声かけるかどうかはそのときになってみないとわかりませんけど……。てか、さっきからどうしたんですか?」

 鍋が来るまでに食べられるものをということで頼んだ酢モツと生ギモを、店員さんがもってきてくれた。うわ、おいしそう。とほんとにおいしそうな感じでいいながら生ギモを一切れつかみ、口に放りこんだあと京ちゃんが話しだした。
「きょうの昼にさあ、堀江のカフェに行ってんけどね」
「それって前にいってたフィッシュマンズがよくかかるってとこですか? そこのお店、美佐子もなんかおすすめしてましたよ」
「そうそう、そこそこ。てか、美佐子ちゃんも行ってるんやあ。ほんでね、たまたまそこのお店できょうひさしぶりに友だちの男の子に会ってんやんか。そしたら、その子がカウンターのいちばん奥に坐ってた女の子のほうをちらちら見てたから、気に入ったん? って訊いたらまんざらでもなさそうな感じやったら、声かけてみぃやってけしかけてみてんけど、ぜんぜん行こうとせえへんかってんやんか」

 

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「そらそうでしょう。それでいきなり声かけにいったら、かなりの暴走機関車ぶりじゃないですか」いい終え酢モツをつまみ、あ、これけっこうおいしいですね、なんてことをいいながら田辺はジョッキに手をかけビールを流しこんだ。
「いや、それがね、初めて会うねんやったらまだしも、きょうで三回目やっていうねやんか。しかも、全部その堀江のカフェで出会ってて……出会っててとかいうと偶然っぽいけど、二回目以降はまたその女の子がそのカフェに来いひんかなって、そのわたしの友だちが意図的に店に足を運んだわけやねんけど、二回目はまだしも三回目なんか確実にそれ目当てで来店した感じで、それやったらそれで声かけたらええやんと思ってんけど、いざそういう場面に直面するとぜんぜん動かへんし、横で見てるとなにをしてるんかなとこっちのほうがやきもきとしてくるねんけど、田辺くんどう思う?」

「及川さんがいってることも納得できるんですけど、その男の人がなかなか行動に出れないでいるのもなんとなくわかるような気がしますよ。しかも相手がめちゃくちゃ好みの女性で、場所がお店のなかだったりするとよけいに声とかかけにくそうですし」
 まあ、たしかにそうかもねぇ。わたしもおもしろがって吹っかけたところもあるし。あ、やっぱり。そういうのはおもしろがってそそのかしたりしたらダメですよ。本人は真剣なんですから。それはわかってるけど、本人が真剣であればあるほど、第三者としてはついつい悪戯心が出てしまうもんやんか。まあ、それはたしかにそうですけどねえ。んなことを二人して話しあい、酢モツおいしいなあ、生ギモおいしいなあ、と舌鼓を打ちながら、田辺が一杯目のビールが早くも残りすくなくなってきたなあと思ったところで鍋が運ばれてきた。
 鍋はぐつぐつ煮え立っており、すぐに食べられる状態だったので二人はさっそく箸をつけた。

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「うわ、けっこうおいしいですね。電話でいってたように、ぼく、モツ鍋ってはじめてなんですよ」
「わたしは二回目。まあ、前に食べたのが一年以上前でいつのことかようわからんし、はじめてみたいなもんなんやけど」
 先ほど鍋がもってこられたときについでに頼んだ生ビールが届き、すぐさま田辺は一口つける。熱いけどおいしいわあ、わたし猫舌やねん、とかなんとかいいつつ京ちゃんはモツ鍋をつづけてつついた。
「ところで、美佐子ちゃんとはうまいこといってるん?」
「え、いきなりどうしたんですか」
「べつにどうもしてないけど、仲良くやってるんかなあと思って」
 二人が席についたときから鍋をつつきつつ辛い、辛いといっていた右隣のカップルのうちの男性が、飲み物を運んできた店員の男の子をつかまえ、ハンカチで額をふきながら「これ、めちゃくちゃ辛いなあ」とおどけた感じで

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なんか別れることが確定してるみたいな感じでしゃべってますけど、もし別れることになったとしても、べつにそれはケンカ別れとかじゃないので、別れたあとも会ったときは友だちとして普通に仲良くできると思うんですけどね。まあ、向こうがそれでも問題ないって思ってくれたらの話ですけど」
「そしたらなんで別れるん?……って、いま思わず訊いてしまったけど、べつにどうしても知りたいわけでもないし、嫌やったら無理にしゃべらんでもええで」
「べつにしゃべるのが嫌とかではないんで、そんなに気をつかってもらわなくてもいいんですけど、別れることを前提にしてあれこれとしゃべるのもやっぱりちょっとあれなんで、もし実際に別れることになったら、そのときにでもまたお話ししますね」
「うん、うん。ほんまにどうしてもってわけじゃないし、無理やったらほんまにええからね」

いっているのが聞こえてきた。左隣の席には水商売風の外見をした女の子二人が坐っていて、ひとりがそろそろ連絡してみるわといって携帯電話を取りだし、それを合図のようにもうひとりが細長い煙草に火をつけた。
「正直、近々別れるかもしれないんですよ」
 取り皿に白菜やらネギやらを入れながら、京ちゃんのほうを見ずに田辺がいった。
「あ、そうなんやあ」申し訳なさそうに京ちゃんはいって、「なんかいらんこと聞いてしもたね」とつけ加える。
「べつにそんなこともないですよ。結婚しないかぎりは、いずれは別れるわけですし。って、まだ正式に別れたわけではないですけどね」
「でもめっちゃ仲良さそうやったから、それこそ将来的には結婚するんちゃうかなあと勝手に思ってたから、ちょっとびっくり」
「でも仲たがいして別れるわけじゃないんで……って、

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「そうなんですね。でも社会人になると、なんだかんだでやっぱ大変なことも多そうですねえ……って、ぼくもちょっとだけ社会人の経験したことあるんですけどね」
「まあ、なにをやるにしても大変なことはあると思うから、けっきょくなにをするにしても、なにかしらの大変さは絶対についてまわるもんやと思うけど」
「たしかになにをやっても苦労することはありますよね。その状態を単に苦労と思うか楽しめるとまでいかなくても、あたりまえのこととしてやり過ごせるかってことはけっこう大事なことかなと思ったりするんですけど、自分ひとりだけ大きな苦労を背負いこんでると思ってたり、やたらと自分は苦労してきたみたいな苦労話を自慢げにするやつとか、たまにいるでしょう」
「おるなあ。んで、そういうのにかぎって話聞いてたらたいした苦労してなかったりするねんな……って、なんの話してたんやっけ?」

 二人して変に気をつかいあったところでこの話題は立ち消えとなり、最近行ったライブの話や、仕事やアルバイトのこと、犬派か猫派か、などについてあれこれしゃべりながら、お酒を飲みつつ鍋をつついているうちにあらかた食材はなくなって、最後に締めでソバを注文したときに、もうそろそろ夏休みも終わりですね。思いだしたように田辺がいった。
「そうやねえ。そやけど、やっぱり学生さんはうらやましいわあ。働きだしたら、ほんま夏休みなんてちょっとだけやし、友だちでお盆は休みないっていってた娘もおるしね」
「まったく休みないんですか?」
「うん、そうみたい。ただその娘の会社の場合、有休とはべつに年に十日ほど休みがとれるらしくって、お盆に帰郷とかする人はその時期にその特別休暇をつかうらしいねんけど」

 

夏休みがおしえてくれる

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

夏休みがおしえてくれる

 

 田辺がすこし考え、ビールを口に運んだあと、「あ、夏休みの話」と京ちゃんのほうに顔を向けた。
「そっか、夏休みの話やったね。まあ学生のときみたいに長いことに越したことはないけど、長くても一週間くらいしかないと、日常の生活にはもどりやすいことと、変に悲しい気分にならへんとこがいいところやと思うわ。まあ、あえていうとやけど」
「なんですか、その変に悲しい気分って?」
「小学校のときとかやったらさ、夏休みがはじまったころなんかはこれからまだまだ休みがあって、なんやったらずーっと休みがつづいていきそうな気分になったりせえへんかった? んで、それがいよいよお終いってときになったら、うまく口では説明できへんけど、なんかすっごい寂しい気分にならへんかった? ほんまにずーっとつづいてくと思ってたような夏休みが終っちゃうなんて、みたいな感じで」

「子どものときに、そんなことを明確に意識したことはなかったと思いますけど、なんとなくいってることはわかるような気がします」
 田辺がいったあと、後ろから失礼しますと声がかかり、店員がソバを鍋に入れてくれた。二人ともけっこうお腹がいっぱいになっていたので、相談の結果一人前にしておいたのであるがこれが正解で、ソバ自体はおいしかったけど分量的に二人前は無理そうで、ひとつにしておいて正解でしたね。ほんまやね。なんてことをいいながら、なんとかソバを平らげた。最後に冷たい水を一杯ずつ飲んで、お店を後にする。
 外に出ると真夏特有のむっとするような暑気があり、田辺は手で顔を扇ぎながらビールが飲みたいなと思い、実際に口にも出した。
「いま飲んだとこやんか」