夏休みがおしえてくれる  |  davinci

ぜんぜん売れへんってことになるのとちがいますのん、なんてことをちょっと思った。うわー。
「一回さ、実験的に恋愛小説でも書いてみたら?」
「たぶん無理。誰が誰を好きで、その誰かはべつの誰が好きで、んでその恋人のどっちかが病気で死んでとか、そんなことをわざわざ小説で書く気にならへんねんなあ。そもそも、そんなのはほかにいっぱい書いてる人おるし、そんないっぱいやってるものをわざわざぼくまでやらんでもええやんかと思ってしまうねんなあ……とかいうてる時点で書かれへんやろうし。と、もっともらしいこといったけど、要は恋愛の話とかをメインにして小説を書くことに興味がないから書かれへんってことやねんけどね。まあ、なにかしらの必然性があれば書くかもしれへんけど」
「まあ、それはそれでいいのかもしれないけどね」
「あ、そうや」といまの話の流れからぼくはあることを思いだし、電話の子機を手にしたまま本棚に向かうと、

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

そういう観点からいくとやっぱりすくなからず毎日の変化は人それぞれ、それなりにあるわけで、そういった日々の小さな出来事を丹念に書いていけたらなあとは思ってるねんけどさ」
「そういうのに共感してくれる人もいると思うけど、共感っていう意味ではラブストーリーとかに感情移入する人のほうが、数の上では圧倒的に多いでしょ。あとはやっぱりエンターテインメント的な要素というか、わかりやすいストーリーがあったほうが、売れる売れないって観点からは有利だろうし」
「まあねえ……。友だちとかにさ、「書いてる小説って、どんな話なん?」って訊かれたときに、うまく答えられへんねんなあ。なんか、ストーリーがあってないようなもんやからさ。っていうか、逆にストーリーというか粗筋の書けへんような小説を書きたいなあと常日頃から思ってるくらいやから」ということは売れる売れないの観点からジャッジメントをくだした場合、

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「残念とはなぜだい? むしろ幸運なんだよ。現代では、書かれたものすべてに飛びかかるようにして、映画や、テレヴィ・ドラマや、漫画に変えてしまう。ある小説のなかで、本質的なものは、小説によってしか言うことができないものである以上、どんな脚色であろうと、非本質的なものしか残らない。今日まだ小説を書こうというほどのおかしな人間は誰にせよ、もし自分の小説の防備を確かなものにしたいと思うなら、脚色などできないようなやりかたで、別の言いかたをするなら、話して聞かせることなどできないようなやりかたで、書かなければならないのさ」
 彼はこの意見に与しなかった。「ぼくはアレクサンドル・デュマの『三銃士』を、きみのお望みのとき、隅から隅まで、最大の喜びをもってきみに話して聞かせることができるよ!」
「ぼくだってきみと同じさ、ぼくはアレクサンドル・デュマが好きだよ」と私は言った、

先日読み終えたミラン・クンデラの『不滅』を探し、手にとった。
「急にどうしたん?」電話の向こうで柴田はなんのことやらわからず、当惑している様子が受話器越しに伝わってきた。
「いま話してて、この前読んだクンデラの『不滅』って小説の一節を思いだしたからさ、ちょっと読んで聞かせたろかなと思って」いいながら、ぼくは付箋の貼ってあるページを開く。「この小説の主人公の〈私〉は小説家やねんけど、友だちのアヴェナリウスが「いまどんなものを書いているんだね」と尋ねたときに、〈私〉は「それは話せるようなものではないよ」って答えて、それを聞いたアヴェナリウスは「それは残念だね」っていうねんけど、引用はそのつづきの部分ね」そういってぼくはその箇所を読みあげた。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 

「けれども、ぼくが残念に思うのは、これまで書かれた小説はほとんどすべて、あまりにも筋の統一の規則に従順すぎるということだ。ぼくの言いたいのは、すべて行動と事件の因果的連関だけに基づいているということだ。そういう小説は狭い街路のようなもので、その道筋に沿って、登場人物たちは鞭で追いたてられてゆく。劇的緊張、これはまさしく小説に負わされた呪いだね、なにしろそれがすべてを変えてしまうんだからな。最高に美しい部分だろうと、最高に驚くべき場面や考察だろうと、すべてを最後の大団円に通じる単なる一段階に変えてしまって、その大団円には、前にあるものすべての意味が集中してくるんだからね。それ自体の緊張の火に焼かれて、小説は麦藁の束のように燃えつきてしまうのさ」
「きみの話を聞いていると」、アヴェナリウス教授は遠慮がちに言った、「きみの小説は退屈なんじゃないかと心配になるね」

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

「それでは、最後の大団円へ向かう熱狂的な競争でないものは、すべて退屈だと思わなければいけないのかね? このすばらしい鴨の腿肉を賞味しながら、きみは退屈してるのかい? ゴールをめざして急いでいるのかい? いや、反対に、鴨ができるだけゆっくりきみのなかへ入っていってほしい、その味がいつまでも残ってほしい、ときみは思っている。小説は自転車競走に似たものになるのではなく、たくさんの料理が出てくる饗宴に似たものにならなければいけない。ぼくは第六部を待ちかねているんだ。ぼくの小説には新しい作中人物がひょっと出てくるんだ。そうして、その第六部の終わりで、彼は出てきたときと同じように、跡を残さずに立ちさってゆくだろうよ。彼はなにごとの原因でもないし、どんな結果もつくりださない。それがまさにぼくの好むところなんだ。第六部は小説のなかのひとつの小説になるだろうし、ぼくがこれまで書いたもっとも悲しいエロティックな物語になるだろうね。きみをさえも、その物語はきみをさえも悲しませるだろうな」

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 読み終え、ここの部分はやっぱりいいこというてるなあと、あらためて感心し、ほくほくしたような気分になりながら、柴田の反応を待った。
                    (続)

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 
 
夏休みがおしえてくれる
  • 著者:中川 充
作 成 日:2008 年 12月 18日
発   行:中川 充
BSBN 1-01-00021686
ブックフォーマット:#429

第4回を読む

なかがわ・みつる●1977年、奈良県生まれ。2006年、ネット上に掲載された短編『POKKA POKKA』への読者投票を経て、第1回ダ・ヴィンチ文学賞編集長特別賞を受賞。07年に初の単行本『青空チルアウト』を、08年には文庫『POKKA POKKA』を刊行した。

Mitsuru Nakagawa

中川 充

 
 
 

 
 
 
中川 充

 
 
 
Mitsuru Nakagawa