夏休みがおしえてくれる  |  davinci

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

「この後すぐ予定がありますので」と無表情にバッサリやってしまった。その後、かの青年が文学少女萌えだったのか文春マニアで運命の出会いだったのか、或いはメガネっ娘萌えだったのか「女であれば何でも良かった今は超反省している」なのかちょっと考えた。
 その後、なんとなくブックファー○トから足が遠ざかったままだ。過敏すぎないか自分よ。
 要は、私のように不用意につつかれるととっさに殻に入るタイプのコミュ能力欠如ヲタもいるんですよ、ということだ。老若男女問わず「他人」に接近されると引く。え、これ少数派?

 以上、19日のレビューはそんな人が書いたものだということをご留意いただきたく、一筆啓上。

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# 向井(jmk) 『ミクシは私です。内容はwebに書いたのと大差ありません。まあ、他にもいるかもしれませんが。
 私もやはり、あれは、作者が吐露したいものをぜんぶ書いた、ような話だと思います。なのでテーマとかは、たぶんないんだろうなぁと思いました。
 そういえばヨシダさんが消えてしまう理由については、ヨシダが「吉田」ではなく(メールのくせに)わざわざ漢字がわからないようなカタカナ表記になっているのは、実は妄想癖のある主人公が生み出した架空の人物だからであり、実際に会う描写もバイトくんからのメールもぜんぶ妄想。なので実際のバーベキューの話が持ち上がろうとすると雲散霧消してしまった……というネタを考えたのですが、さすがに無理矢理すぎるだろうと思いました。』

 

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# cataly 『感想や推察にはその人の読書体験・人生経験が色濃くあらわれるものなのだなと実感している次第であります。ブルブル。』

 

みなさんいろいろ考えるもんなんだなあと感心もした。
 ブログではヨシダ遁走のほかに、作品のテーマについてもふれられているが、ここでの結論は〈純粋に吐き出したいものを書き出しただけ〉という意見でまとめられているわけだけど、この部分にかんしてだけささやかながら反論を述べさせてもらおうと思う。といっても、ブログ内で書かれていることにたいして作者がしゃしゃり出て、それはそうじゃなくてこうなんですよというのも興醒めな話なので、すこしだけにしておこうと思うんだけど(そのブログの内容を小説に引用してるのもどうなんよってつっこみもあると思いますが……。ただ、反論というか、すこしのこととはいえ、自分の小説のことについてぼくの意見が書けるのは小説のなかだからってこともいえるのです)、二日目の日記のなかに〈私は先の記事の中で、実際は作中で「裕子」とほぼ同等の比重を占めている「バンド関係」には触れませんでした。

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 一連の文章を読んで、なんてかわいい人なんだと思った。前日の日記でさんざんというか、けっこう熱く語っておきながら、思わぬレスポンスにすこしばかり照れてしまったのか、〈いや、実は久方ぶりにプログレの話がしたかったというだけの理由でこの小説とりあげたんだけど〉と、そこだけ文字を大きくしてるあたりがお茶目な感じだ(嫌味じゃなく、本心からそう思います)。んで、内容がどうのこうのという以前に、レスポンスをしてくれた方々もふくめ、これだけいろいろとぼくの小説のことについて書いてくれているみなさんにたいして、素直に感謝の気持ちでいっぱいになった。
 そいで、やっぱりここでも〈なぜヨシダはメールを返してくれなかったのか〉ってことが話題の中心にされている。catalyさんの回答、それにたいするti_zujpさんの返答、さらには〈山風は伏線だったんだよ!〉とおっしゃられるtokkyotyoさんや、それぞれを興味深く読ませていただくとともに、

 

ではないんだと思う(ぼくはここでまた「思う」をつかう)。
 ささやかながらの反論はこれで終了。ほいで、〈ともあれ作者がヨシダのような女性か、ヨシダのような女性を求めている男性か、ヨシダのような女性に実際に出会った男性なのか、そのいずれでもないのかがちょっと気になる。作者を単純に作品と結びつけるのはよろしくないとわかってはいるが〉と作品と作者との関係性についてふれられている箇所があるが、それを読みながらフジタエリコさんのことに思いが及んだ。
 フジタさんがぼくの知りあいである可能性がゼロであるとはいまのところいえないが、どちらかというとぼくとぜんぜん関わりのない人である確率のほうが高いであろう。catalyさんが先の日記で〈ブック○ァースト〉で〈おとなしげな普通の青年〉に声をかけられたエピソードを紹介していたが、フジタさんがぼくに手紙で書いてよこしてきたことは、catalyさんのブログに

あくまで自分が気になったところのみで粗筋を作りました。そうした理由は、内容を逐一網羅すると量からしても「粗」筋ではなくなってしまうからです〉というcatalyさんの文章があるが、ここに書かれていることがテーマというか、ただ単に「吐き出したいものを書き出しただけ」ではないということの答えを導きだすヒントになっているように思う。思うって書いたけど、ぼくが書いた小説のことなんだから、「思う」なんて推量表現ではなく、「答えを導きだすヒントになっているのだ」と断定調に書けばいいんだけど、とりあえずいまは「答えを導きだすヒントになっているように思う」と書いておく。それでもっというと、書いているうちにつぎに書くべきことが現れてくるという観点からいくと、この〈純粋に吐き出したいものを書き出しただけ〉というのは半分は当たっているんだけど、当然それだけでは小説は成り立たないと思われるわけで、やっぱり〈純粋に吐き出したいものを書き出しただけ〉

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 今後フジタさんから手紙が来なければ、そのうちに忘れるであろうし、新たに来たら来たで、そのときにまた対応を考えればいい。……って、仮に手紙が来たとしてもこちらからなにか手を打つなんてことはよっぽどのことがないかぎりしないと思うんだけど、そういうこともひっくるめてそのときに考えればいいことで、いまはこれ以上このことについて考えないでおこう。
 と、手紙が届いた当初はいろいろと頭を悩ませていたわけだが、幸か不幸かその後フジタさんからの手紙はなく、もらった直後はその内容についてあれこれと考えたくせに、なかったらなかったで時間の経過とともに手紙のことなんか忘れてしまってというか、気にしなくなって、ぼくはそのあいだにライターとしての仕事をこなすとともに、小説の執筆に取り組んだ。
 小説は予定どおり十月上旬に初稿ができあがり、月末に担当のSさんと会って一度打ちあわせをし、原稿を手直し。

「その青年はぼくかも知れません」とコメントを書くようなもんだ。もしほんとにそうだったらしょうがないとして(そんな可能性は低いわけだし)、そもそもぼくの場合は登場人物のモデルなんて想定していないわけだから、フジタさんが小説に出てくるヨシダさんのモデルであるはずがない。もし仮にフジタさんがほんとにぼくの知りあいだった場合はなにか勘ちがいをされているということになるわけだが、現状ではそんな自分じゃない誰かの勘ちがいにまで気をつかってられないし、仮にその旨をしたためて手紙を送ってやろうと思ったとしても、そもそも相手の身元もわからない。って、べつに手紙を送るつもりもないけど、いずれにしてもいまの状態でフジタさんのことについてあれこれ考えても徒労に終わることは請けあいで、そうやっていろいろ考えるということがフジタさんが仕向けた術中にはまっていることになっているのかもしれず、とりあえずこれ以上このことについて考えるのはやめることにする。

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●連載第一回

 一九九七年というのは個人的にすごく思いいれのある年で、そうかといってその後に人生のターニングポイントとなるなにか大きな出来事があったのかというと取り立てていうほどのことは特にないんだけど、ふりかえるとなんか全体としてすごく高揚感のあった一年で、じゃあ具体的になにか挙げなさいといわれるとやっぱり全体的な感じとしかいいようがないんだけど、たとえば第一回目のフジロックがあったのもこの年だった。日本で行われる初の野外での本格的なロック・フェスティバルということで喜び勇んで参加したのだが、開催当日に会場である富士天神山スキー場を台風が直撃し、死の恐怖に対面するということが稀な現代社会ではなかなか体感できないような過酷な状況を経験。暦は真夏だというのに、もうびっくりするくらい

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そのデータをもとにゲラがつくられ、最終のチェックをしたものを編集部にファックスで送ったのが十二月の中頃のことで、なんとかかんとか翌年の一月発売号から小説の連載がはじまった。

というコアなファン向けのボックス・セットが発売されたのも同年のことであった。ちょっとふりかえってみただけでも実に充実している。
 そんな一九九七年前後の曲、というかフィッシュマンズがよくかかるのが本田さんのお店で、耕太がはじめて訪れたのはちょうど一年くらい前、居酒屋で飲んだあとの二軒目として店に顔を出したわけだが、そのときは六〇年代を中心にUKロックばっかりがかかっていた。店内の壁にはザ・フーのファーストアルバムのアナログ盤や『さらば青春の光』のポスターなんかが飾ってあり、そこへもってきてかかっている音楽がキンクスやスモール・フェイセス、さらにはジャムやらピストルズやらということで、めちゃくちゃにブリティッシュな感じのお店で、中学から高校にかけてビートルズにはじまりとにかくUKロックにどっぷりハマっていた耕太は、なつかしいと思うと同時にええ感じやなあとその雰囲気を好ましく思い、その後も何度かお店に足を運ぶようになったのであった。

 

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寒かったし、とにかくあのときは大変だったけど、ふりかえるとすごく楽しい思い出となっている。あんな経験、やりたいと思ってもなかなかできないわけだし。
 と、当時をふりかえりながら耕太は、あの時期はすっごく熱心に音楽を聴いていたし、いいアルバムもたくさんリリースされた年でもあったなあ、なんてことをなつかしく思いかえした。いちばんよく聴いたのがフィッシュマンズの『宇宙日本 世田谷』で、電気グルーヴの『A』の発売も中村一義のデビューもこの年で、『金字塔』なんかもほんとによく聴いたし、なにげにホフディランの『ワシントン CD』も好きだった。海外ではレディオヘッドの『OKコンピュータ』、ビョークの『ホモジェニック』、プライマル・スクリーム『バニシング・ポイント』なんかが発表され、ロバート・ワイアットやポーティスヘッドなんかの新譜もよく聴いていたし、そういえばなにかと話題になっていたコーネリアスの『ファンタズマ』も一九九七年で、ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ・セッションズ』

二回、三回と顔を出すうちにオーナーである本田とも自然と仲良くなり、いろいろと音楽の話なんかもするようになったんだけれども、そこで本田さんがフィッシュマンズのファンであることも知る。「けっきょくいまの『耳鳴り』って名前になったけど、最初お店の名前を『空中キャンプ』にしようかなと思ってたくらいだから」といって本田さんは笑った。UKロックのお店の名前が「耳鳴り」いうのもおかしいやんと思ったりしたけど、あえてそこはつっこまずに『空中キャンプ』のほうがよかったんとちがいますか? とかなんとかいいながら、その後も耕太は足繁くお店に通った。ちなみに、『空中キャンプ』というのはフィッシュマンズのアルバムのタイトルだ。
 昼間もカフェとして営業しているということを耕太が知ったのは通いはじめて半年ほどたったころで、そいじゃあ休みの日に昼飯でも食べにきますねなんてことをいい、実際にランチタイムに顔を出したら出したで、本田さんのつくるオムライスがびっくりするくらいおいしかった。

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てか、驚いた。なにを隠そう耕太はオムライスが大好物で北極星や明治軒をはじめ大阪近辺のオムライスを食べ歩いた経験をもっていたのであるが、一回食べただけであっというまに心のなかのベストテン第一位になってしまった。ご飯を玉子が包んでいるわけでもなく、ご飯の上に玉子がのっかってるのでもなく、ご飯と玉子がいっしょになっていて(そこにはチーズも入っている)、そのふわふわ感は革新的ですらあった。とにかくやわらかくて、鶏肉と玉ねぎなんかが入っているライス(ベーコンが入ってないのも耕太の好みに合っていた)とトマトソースも絶妙だし、一言でいってすごくおいしい。ほんとに絶妙じゃないですかと耕太は思った。
「耳鳴り」へはあくまで夜に飲みにくるのがメインであったが、オムライスの存在を知ってからはそれを目当てに休日の昼間に顔を出すなんてことがすくなくとも月に一、二回はあるようになり、先々週もまさしくそんな感じで耕太は土曜の昼間に顔を出したのであった。