夜は一緒に散歩しよ  |  davinci

「三沙子に似たのかな」卓郎はそう言って、苦笑いで返した。

「パパ、トンボつかまえて」
 そう言って千秋が、リビングのソファで仮眠をとっていた卓郎を揺さぶってきた。
 まだ眠り足りなかったが、千秋の焦りようから本当に部屋にトンボが入ってきたのかもしれないと思い、寝惚けた身体に鞭打った。
「トンボはどこにいるんだ」
「ここにいっぱい飛んでる」
 千秋は部屋をぐるりと見渡して、ニッと笑った。
 卓郎にはトンボの姿は見えない。いや、トンボはいないのだ。
 千秋にだけたくさんのトンボが見えるのだ。
 幻想トンボを追いかけて、千秋は目をぐるぐると回して楽しそうに混乱している。
 卓郎は千秋が嘘をついているとは一度も考えたこと

夜は一緒に散歩しよ

 

がない。千秋にはちゃんと見えているんだと信じていた。
 子供の頃にだけ見えるものがある。三沙子の祖母のように、大人には見えないものを子供だけが見てしまうという話は昔からある。それがお化けでもなんでもいい。千秋をこうして楽しませてくれるのだから大歓迎だった。
 トンボは人の魂だとも言われていた虫だ。卓郎はそういう存在を信じているわけではないが、千秋のような子供にはそういうモノが見えてもいいと思う。千秋はそうして見えたモノを、口にだしたり絵に描いたりして大人に教えてくれる。それは千秋にとっても卓郎にとっても、今だけの貴重な体験だと思う。
「よし、じゃあ、そこで見ててくれよな。パパが全部とってあげるから」
 見えないトンボを追いかけて、つかまえるような仕草をした。人差し指をぐるぐる回してテーブルの上のトンボの目を回してやろうとする。もう片方の手を

そーっと近づけると、トンボはすーっと逃げてしまう。今度はそれをドジョウすくいのように両手でつかまえようとする。
 姿なき幻想トンボを相手に、卓郎は千秋に楽しげな芝居を披露した。
 だが千秋は、「あ」とか「あーあ」とか言いながら、表情を歪めたり、目を背けたりする。
 なんだか悪いことをしている気になった。
「パパ、だめだよ。全部潰しちゃだめだよ」
 そう言って、ティシューを何枚か取って卓郎の手を拭いた。千秋の目には、飛び交うトンボを握り潰す父の姿が映っていたようだ。

   
   


 
 


   続きは単行本
   『夜は一緒に散歩しよ』でお楽しみください。

夜は一緒に散歩しよ

 

価格:¥1,260(税込)
出版社:メディアファクトリー
発売日: 2007/5/16
単行本(ソフトカバー):271ページ
ISBN : 978-4840118538
サイズ:18.6 x 13.6 x 2.8 cm

Shiro Kuro

黒 史郎

1974年、神奈川県生まれ。オリジナルアニメDVD『カクレンボ』で原案・脚本を
担当。「夜は一緒に散歩しよ」で第1回『幽』怪談文学賞・長編部門大賞を受賞しデビュー。著書に『獣王』『黒水村』『100KBを追いかけろ』がある。

著/黒 史郎

 
 
 
 
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夜は一緒に散歩しよ

横田卓郎は妻を亡くし、娘の千秋と二人で暮らしていた。妻の死後、千秋は奇妙
な絵を描くようになる。「青い顔の女」ばかりを描くようになった千秋は、その
絵の顔を「ママ」と呼び、描くことに執着する。そしてもう一つの執着。それは、
夜の散歩だった。

じわりじわりと忍びよる恐怖。都市の狭間に蠢く影が、ひとり娘を侵食してゆく。
第1回『幽』怪談文学賞の長編部門大賞受賞作。

 
夜は一緒に散歩しよ
  • 著者:黒 史郎
作 成 日:2008 年 10月 10日
発   行:黒 史郎
BSBN 1-01-00018931
ブックフォーマット:#452
 

横田卓郎は妻を亡くし、娘の千秋と二人で暮らしていた。妻の死後、千秋は奇妙
な絵を描くようになる。「青い顔の女」ばかりを描くようになった千秋は、その
絵の顔を「ママ」と呼び、描くことに執着する。そしてもう一つの執着。それは、
夜の散歩だった。

じわりじわりと忍びよる恐怖。都市の狭間に蠢く影が、ひとり娘を侵食してゆく。
第1回『幽』怪談文学賞の長編部門大賞受賞作。