夜は一緒に散歩しよ  |  davinci

夜は一緒に散歩しよ

 千秋は怯えるような視線を楠木に向けながら、後ずさるように部屋を出ていった。
「さらさらバッタ」——このひと言だけ残して。
 楠木はお絵かき帳を手に取り、顎に手を当てて満更でもないという笑みを浮かべている。
「さらさらねぇ、これ、ボクに似てますか?」
 しばらく楠木は、気味の悪い含み笑いに肩を揺らしていた。

 次に卓郎が見た絵は、「黒い玄関」だ。
 家の中にまでの合唱が響いてくるような、騒がしい夕方だった。
 廊下に腹這いになり、玄関の方に顔を向けて足をバタバタとさせている。手はお絵かき帳の上で忙しそうに動いていた。
 玄関にも廊下にも描いて楽しいようなものはなにもない。あるのは下駄箱の上の猫の置物ぐらいだ。

 一体なにをそんなに真剣に描いているのかと後ろからそっと覗き込むと、千秋は気配を察して絵を隠してしまう。
「パパに見せてくれないのか?」
「なんで見たいの?」
「なんでって、見たいからだよ」
 千秋は渋々、お絵かき帳を手渡してきた。
 千秋の角度から見た玄関の絵だ。とくにこれといって変わったものは描かれていない。
「上手いじゃないか千秋」
 頭を撫でてお絵かき帳を返す。
 別に喜びも照れもせず、千秋はまた廊下に腹這いになって描き続ける。一時間、二時間と、その状態で姿勢も変えずに描いている。さすがに心配になって声をかけると、千秋は鉛筆を握ったまま眠っている。リビングのソファで寝かせてやろうと千秋を抱きかかえたときに、真っ黒に塗り潰されたお絵かき帳が目に入る。

 

夜は一緒に散歩しよ

 

「笑い般若」だ。
 前者は千秋が庭を見て描いた絵で、おそらく木からぶら下がる虫を描いたのだろうが、卓郎にはどう見てもそれが白骨化した首吊り死体にしか見えなかった。
 後者の「笑い般若」は回覧板を届けに来た隣家の女性の「似顔絵」だ。まさに笑った般若面のような表情で描かれており、これを目の前で描かれた本人は苦笑いを浮かべていた。
 絵のタイトルは卓郎が心の中で勝手に作ったものだが、許されるなら絵の横にそのような題をつけたい。しかし生みの親は千秋であるのだから、名づけ親も千秋がなるべきなのだと思った。
 千秋は着色のセンスもとても良い。塗り絵を買い与えるとそれがわかる。
 女の子の絵が描かれた塗り絵を塗ると、顔や服などには一切、色を塗らない。その代わりに目から滝のように緑色の涙を流させる、という余計なことをする。

 同じ箇所を何度も塗り潰したのだろう。所々に破けている箇所がある。描いている途中で飽きて絵を塗り潰したのだ。だがよく見ると違っていた。
 その絵は黒く塗り潰したのではなく、そう見えるほどに絵が重ねられているのだ。幾重にも人の形や顔が??間なく描かれていて、遠目に見ると黒い紙に見えるのだ。
 疲れていたのか、千秋はしばらく目を覚まさなかった。

 それからも千秋は奇妙で斬新な表現の絵を描いた。卓郎はすっかり千秋の絵のファンになってしまった。
 千秋の絵ははたから見れば気味の悪い絵なのだが、妙な魅力がある。とても印象に残る絵ばかりだった。
 卓郎は千秋に頼み、描いた絵をたびたび貰っていた。千秋の絵を描くペースはとても速く、気がつけば卓郎の部屋にはお絵かき帳が山と積まれていた。
 数ある中でも卓郎のお気に入りは「首吊り蓑虫」と

 動物の塗り絵なら動物に色は与えず、その背景に人の顔を描いたり、全部を真っ黒に塗り潰したりする。塗り絵でここまで個性が出せるのだからすごい。卓郎は好きなだけ千秋に絵を描かせた。
 リビングの壁に掛かるカレンダーもすぐに千秋に占領された。
 楠木が来る奇数日には、丸印の代わりに「さらさらバッタ」の顔が描かれるようになった。寂しかったカレンダーも賑やかになる。
 お絵かき帳だけでなくコピー用紙やファックス用紙、新聞に挟まっているチラシの裏などにも描いていた。
 いつの間にか、家中に千秋の描くキャラクターが跋扈していた。

 一年のほとんどを家の中で過ごす。職業作家とはそういうものだろうが、卓郎は特にそうだった。打ち合わせはほとんど家でするし、滅多に取材にも行くこと

がない。家を出るとすれば、朝夕の食材を買いに駅前に行くぐらいだ。
 千秋も幼稚園に行く以外は家を出ない。遊びにも出かけない。幼稚園から帰宅すると、まっすぐ卓郎の部屋に来て絵を描き始める。そんな千秋の姿を見ていると、三沙子を思い出す。
「千秋、ごはん、ママにあげてくれるか?」
 千秋は手渡された茶碗を、和室にある仏壇の上に置く。
「チーンと、ナムナムもしてな」
 言われた通り、千秋は楽しそうにリンを鳴らし、手を合わせる。
 急性心不全。それが三沙子の死因だった。
 茹だるほどに蒸し暑い日曜日。いつもの時間に朝食を作る音がキッチンからしない。自分の仕事だけでなく、子育てや家事も一生懸命にやってくれている。三沙子も疲れて寝坊する日だってあるだろう。
 そう思って、昼まで放っておいた。

 

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 昼を過ぎても三沙子は起きてこなかった。千秋は三沙子が起こさないと起きてこない。そろそろ腹が減ったので二人を起こそうと思った。
 一階の和室の寝室で、三沙子は千秋を抱いたまま眠っていた。そのまま、三沙子だけは目覚めることはなかった。
 永遠の睡魔は午前二時から三時の間に三沙子に訪れたらしい。千秋はそれも知らずに、三沙子の冷たい死体に抱かれて眠っていたのだ。
 暑い夜にはさぞかし三沙子の体は冷たくて気持ちが良かっただろう。千秋の寝顔はとても安らかだった。
 だが三沙子は安らかな顔で、とはいえなかった。眠ったままとはいえ、やはり苦しかったのだろうか。
 それにしても、あまりにもあっけない別れだった。

「おかえり」
 ある日、玄関の方から千秋のそんな声が聞こえた。卓郎は部屋で楠木と打ち合わせをしていた。

 誰かが家に訪ねてきたのかと廊下に顔を出すと、千秋が一人で立っていて、玄関のドアに向かって笑っている。
「千秋どうした?」
「帰ってきたよ」
「帰ってきたって、誰が?」
「ママ」
「——ママ?」
「うん、ママだよ、おかえりママ!」
 誰もいない玄関に満面の笑みを向ける千秋。
 千秋にはまだ、死という概念を教えていない。
 仏壇に飯を置いて手を合わせることも、死者への弔いだとは知らない。いまだに千秋は人が死ぬということを知らないのだ。
 普通は親に教わるものなのだろうか。それとも自然に覚えるものなのだろうか。そういうことは幼稚園でも教えてはくれないのか。自分はどうだったろうか、と卓郎は思う。

 

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 千秋はあの日からずっと、三沙子は眠っているのだと思っている。とても寝ぼすけな母親は今もどこかで眠っている、だから家に帰ってこないのだ、そう思っている。
 棺の中の三沙子を見たとき、千秋は何度も体を揺すって起こそうとしていた。
 千秋はいつ母親がいないことに違和感を感じるのだろうか。そして初めて母親の死を知ったとき、千秋にはどんな変化が現れるのだろうか。
 自分の口から娘に真実を言う勇気は、今の卓郎にはまだない。
 こうして誰もいない場所を見て「おかえり」と言ってはしゃぐ千秋に、言えるわけがない。
「ママね、逆立ちしてるよ」
 どうやら千秋の中の三沙子は、帰ってくるなり逆立ちを始めたようだ。
「すっごーいっ、逆立ちっ、逆立ちっ、目ぇ、まっかっかっ」

 

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 相当面白いのだろう。腹をかかえて笑いだした。 大笑いしながら千秋は四つん這いになり、廊下を走ってリビングに消えた。
「さすが、クリエーターの夫婦が生んだ子ですな」
 後ろでこの光景を見ていた楠木が下品な大笑いをした。

 千秋は幼稚園から帰ると、二階の自分の部屋に鞄を置いて卓郎の部屋に入ってくる。
「パパ、今日さらさらバッタもハゲカンもこないよね?」
「ああ、どっちも来ないよ。カレンダー見たろ?」と言っても、千秋はカレンダーの読み方をよくわかっていない。ただなにかが書かれていれば、その数字の日に良いことか悪いことがある、ぐらいにしか理解をしていない。その場合、良い日はクリスマス、誕生日、結婚記念日である。どれもケーキが食べられるからだ。悪い日は楠木が来る日だ。可哀相なことに千秋のカレンダーには悪い日の方が多い。

 

 その日が悪い日でないのを確認すると、キーボードをカタカタと叩く卓郎の後ろでお絵かき帳と十二色の色鉛筆を広げて絵を描き始める。
 色鉛筆は十二本とも全部、ケースから出されて千秋の周りに半円を描いて並べられる。その方が使いやすいらしい。
 千秋が部屋で遊んでいても仕事には何の影響もない。むしろ静かすぎて振り向いてしまうこともあるほどだ。絵を描いているときの千秋は執筆中の卓郎以上に集中力がある。
 絵を描き終わると千秋はなにかを一人で話し始める。仕事をしているフリをして、つい耳を傾けてしまう。
 結構、面白い。日本語に交じって、千秋語とでも呼ぼうか、不思議な言葉が聞ける。
 それはなにかの呪文のようでもあり、よく子供がやる言葉遊びのようにも聞こえる。言葉を逆さにして読んでいるのか、意味もない言葉を連続しているのか、

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どうとでもとれるような言葉を発するのが好きなようだ。
 千秋のそれは独り言と呼ぶのとは違うような気がする。誰かと対話をしているのだ。もちろんそれは実在しない相手だ。絵の中のものと話しているのか、想像上のママと話しているのか。

「芸術家は孤独なものよ」
 生前、三沙子がよく言っていた言葉だ。
「芸術家はね、人と同じ感覚じゃいけないの。有名な画家には少しおかしな人が多いでしょ? あの人達の目は人と違うものを見ているの。でもそれを見たまま正直に描くと、人には変な目で見られちゃう。だから、いつの間にか孤独になっちゃうのよ」
 互いの仕事の合間に、たまにこういう会話をする。
「それでも作りたいものを作り続けられるなら、芸術家としては本望なんじゃないかな。作品をたくさんの人に評価してもらえたうえに、天才画家と呼ばれて教科書にまで載る人もいるじゃないか」

「昔は妖怪とか幽霊みたいなものが見えたんだって。お婆ちゃん、天狗も見たって言ってた」
「三沙子がその目を受け継いでたら、今頃、すごかっただろうな」
「私はだめね。期待してたんだけど。でも、きっと生まれてくる子供は天才よ。隔世遺伝ってあるでしょ?」
 三沙子はそう言って、大きくなった腹を撫でていた。

 気がつくと、卓郎はキーボードを叩く手を止めていた。
 原稿の進み具合と机の上の時計を見ると、三十分以上も手を休めていたことがわかる。
 千秋は熱心になにかと会話を続けている。
 ——隔世遺伝。そうなのかもしれない。
 存在しないものを目で捉えることができる力が、千秋にはあるのかもしれない。そして、それをこの世に実在させるために絵という表現を使っているのだ。

「死んでからやっとその絵の芸術性が理解されたってだけよ。その死も独り寂しいものよ。理解されないまま、自分は変人扱いされて死んでしまうんだから。それに理解はされても百パーセントの理解を得ているわけじゃないわね。百パーセント理解できるのは、描いた本人だけなんだから」
 こういう話をしているときの三沙子は、どこか自慢げな表情だ。自分にはそれが理解できる、そういう顔だ。
「三沙子も、後世に名を残したいって思うか?」
「ううん、私には彼らのように特別な目はないもの。描いているのはあくまで目で捉えられるもの。絵を描くのはすっごく好きだけど芸術性を求めているわけじゃないしね。でも、私のお婆ちゃんはよく子供の頃に不思議なものを見たんだって言ってた」
 三沙子の祖母は三沙子が小学生の頃に亡くなっている。三沙子の口から聞く限りでは、よっぽど変わった人だったようだ。祖母のことを話すときの三沙子はいつも楽しそうだった。

夜は一緒に散歩しよ

 

 この日の千秋が描いた三枚の絵に、卓郎は愉快なタイトルをつけた。
「人面疣の白蛆」「トマト顔老人」「眼無し猫」——そういう絵なのだ。

 夕食時に卓郎は聞いた。
「千秋はお友達、欲しくないのか?」
 千秋はなにも答えない。なにも聞こえていない、そういう顔をしている。
「絵だって、友達と一緒に描けばもっと楽しいだろ?」
「いいの」
「なにがいいんだ?」
「楽しくなくてもいい」
「楽しいから絵も描くんだろ?」
「違うもん」
「じゃあ、なんで描いてるんだ?」
「しらない」

それは、天才と呼ばれるものなのかもしれない。
 千秋に絵描きとしての才能が芽吹くのなら、これ以上、三沙子が喜ぶことはないだろう。
 千秋の中の世界は独特だ。
 決して、この世にあるものの絵は描かない。
 まだこの世に生まれて四年。そんな子供が、この世にないものばかりを想像だけで描くのだ。実在しないものを創ることの難しさは卓郎もじゅうぶんにわかっているつもりだ。
 千秋は見事に創りだす。大袈裟な表現にすれば、この世界に存在するなにとも重ならない、常に独立した不思議な絵を描くことができる。
 だが期待する一方、千秋には普通の子供でいてもらいたいという気持ちもある。普通に友達を作って、普通にわがままで無邪気な子供であっても全然かまわない。作家と絵描きの娘だからって特別に育って欲しいわけじゃない。
 それでも絵を見るたびに、千秋は類稀なる才能の持ち主なのだと思ってしまう。

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