山本くんには 友達がいない  |  davinci

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第8回

 
 
 
山本幸久

 
 
 
 

 
 
 
Yukihisa Yamamoto

山本くんには 友達がいない

 

前回までのあらすじ

小学6年生の山本くんは、中学受験生。毎週日曜日、いやいやながらも塾に通っている。学校にも塾にも、友達がいない山本くんだったが、いつも「合格祈願」のハチマキをしている南斗と、黒須というちょっとかっこつけた少年と知り合う。ある日、黒須につれられ、彼の姉・福子がバイトする喫茶店へと訪れた山本くん。それ以来、福子のことが忘れられず、ふたたび黒須と南斗、それから黒須のイトコの萩原と店を訪れた山本くん。すると南斗が「カルボナーラをつくる」と言い出して…。

 
 
 
 
 
Yukihisa Yamamoto

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

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山本くんには友達がいない

 
 
 
 
 
山本幸久

 
 
 

山本くんには 友達がいない

 
ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 
 
 
 
 
 
 
 
        第8回

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

山本くんには 友達がいない

 

 山本くんは湯船に浸かっていた。
 つい二時間前まで新宿にいたなんて嘘のようだ。
 南斗満天のつくったカルボナーラは、三週間前に福子につくってもらったそれとは似ても似つかぬものだった。しかも悔しいが、おいしかった。なぜ悔しがらねばならないのかわからないが、ほかのふたり、黒須と萩原も悔しそうだった。
 どう、おいしいでしょう? と訊ねてくる南斗をふたりとも上目遣いでにらんでいた。
 福子は素直に、おいしいわ、と微笑んでいた。そして、つくりかた、教えてちょうだいとまで言っていた。
「もちろんです。たぶんそうおっしゃると思いまして」南斗はポケットから水色の封筒をとりだし、福子にさしだした。「昨夜、勉強の時間を割いて、書いておきました」
 わざわざ勉強の時間を割いて、というところがいやらしい。

「そんなことして、全国順位がさがったらどうすんだよ」
 黒須が冷やかすように言った。
「そのぶん、今朝早く起きて勉強したさ」と言いながら、南斗は鉢巻をぎゅっと固くしばり直した。
「なに、おまえ、成績いいの?」
 萩原は南斗にきいた。
「たいしたことないよ」南斗のかわりに黒須が答えた。「三千位前後」
「せ、先週は二千八百三十八位だよ」
 威張れる順位ではないが、南斗は胸を張っている。そうは言っても山本くんより三百も上だ。
「けっ。おれより下じゃねえか」
「は、萩原くんは何位なのさ」
「二千七百十九位」
「きみ達、ここでは成績の話はやめてくれる?」
 福子が口をはさんだ。物腰は柔らかだが、目つきは険し

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 お風呂は木だ。なんの木かは知らない。風呂桶と呼ぶにふさわしいカタチをしている。やや縦に長い長方体で、角っこは丸まっていた。蓋も当然だが木である。
 風呂場は四方、赤茶けた色のコンクリだ。これがよりいっそう、ぜんたいを薄暗く思わせる演出になっていた。床には簀の子が敷いてある。夏になるとその隙間からひょっこりゴキブリが顔をのぞかせ、たいへん心臓によろしくなかった。
 家の裏手にむいた木枠の窓があり、少しの風でがたがた揺れた。その音に山本くんはしょっちゅうびくついていた。いい加減、慣れればいいものを、と自分でも思うのだが、なかなかそうはいかなかった。頭を洗っている最中、窓が揺れると、怖くて顔があげられなくなった。
 ただしひとりでお風呂に入るようになったのは早い。小学校の低学年だ。親にほめられようと無理をしただけである。

 

くなっていた。
「あたし、順位とか数字とかで優劣を競うのってきらいなんだ。そういう話も聞きたくない」
 萩原はおとなしくひきさがり、残っていたカルボナーラをずずずと音をたてて、食べきってしまった。そのあいだ、南斗は首をかしげていた。やがて福子にむかってこう言った。
「じゃ、じゃあ、なにで優劣を競えばいいんでしょうか?」
 いま頃みんなどうしているだろう。
 水面が鼻の穴すれすれになるくらいまで、山本くんは湯船に沈む。
 山本くんの家の風呂場は薄暗かった。他人の家の風呂に入ったことがないので、うちのが特別、薄暗いのか、あるいは世間一般に風呂場は薄暗いものなのか、山本くんはわからなかった。

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 以来、天井の四つ角が見えない薄暗い風呂場で、ゴキブリや風の音を恐れながら、風呂に入っている。
 正直、気が気でない。からだの小ささと対応して肝も小さいのである。
 そのくせ怖い漫画は好んで読んでいた。
 ジャンプに掲載されたのち、単行本一冊にまとまった諸星大二郎の『妖怪ハンター』を読んでいたら、母親にそんな怖い漫画を読んで平気なの、と言われたが、それほどではない。たしかに絵はおどろおどろしいし、妖怪もでてきはする。でもヒルコになったらどうしよう、とか、赤い唇の女の人はこわいなぁ、とかいう気分にはならない。きっとお話が理にかなっており、主人公の稗田礼二郎がなんらかの解決を導きだしてくれるからだろう。
 ほんとうに怖い、生理的に受け付けないはずなのに、まさに怖いもの見たさで読んでしまうのは、つのだじろうや楳図かずおの漫画だ。

 買いはしない。怖くて買えない。だから立ち読みですます。そのくせ記憶に鮮明に残り、薄暗い風呂場で思いだしてしまうのが常だった。
 木枠の窓が開いて、そこから白い手がぬっと入ってきたり、あるいは開かずとも読むと寿命が縮まる新聞が貼りついてきたりしたらどうしようと、本気で心配する。 
 山本くんだってもう小学六年生だ。しかもペーペーの会員ではあっても、代々木上原進学教室へ通う、曲がりなりにも受験生である。幽霊やおばけなんていうのは、漫画の中だけのことで、実在しないことはじゅうぶん承知している。
 だけど怖いものは怖い。
 これを克服するがために山本くんはある手段をとっていた。怖さを取り除くことはできないまでも、和らげるために、自分にむかって、自分好みの話を聞かせるのだ。それもできるだけ莫迦莫迦しく、愉快な話を自分に語って気を

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いてでてくる。
 いちばんのお気に入りの話は『ジェットマン』だ。
『ジェットマン』は宇宙からきた正義の味方だ。ただしとても弱っちく、気が小さい。空も満足に飛べない。
 ふだんは『地球を守り隊』のヤマモトになりすましているものの、ジェットマンであることは隊員みんな知っている。ほんとうは秘密にしておきたかったのだが、なにしろはじめて変身をするときに、衆人環視のもと、やってしまったのだ。
 どこかの町で快獣(怪獣ではない)が出現すると、ヤマモトはいつもからだの不調を訴え、いこうとしない。それを隊員達が無理矢理つれていく。
 しかし現場についたところで、ヤマモトはなかなかジェットマンに変身しようとしない。変身するにはしゃもじに似た装置を頭上高く掲げる必要があるのだが、これをわざと基地に忘れたり、ひどいときは飛んでいる戦闘機の窓か

紛らわせる。
 実際、声にだしてしゃべりはしない。昔は一時期、そうしていたが、親が心配して風呂場をのぞきにきたこともあって、やめている。
 もともとひとりで絵を描きながら、お話をつくるのが好きだった。
 小四のときにはおなじクラスの溝口くんと漫画を合作したことさえある。ただしこれは未完に終わったが。
 絵は得意なほうではある。だが漫画となるとむずかしい。テーブルを挟んで、むかいあったふたりがしゃべっているだけの場面をどう描けばいいか、頭を悩ます始末だ。
 それに男を描くのはまだしも女が描けない。髪を長くして、目にまつげをつけたところで、どうしても男にしか見えなかった。胸のふくらみを描くのも抵抗がある。
 だが話をつくるのは好きだ。
 風呂場で自分に聞かせる話は、ごく自然に頭の中から湧

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ら投げ捨てたりもした。
 それでもようやくジェットマンに変身してもどうせ負けるからと戦おうとしない。浜辺に寝そべったり、山に腰をおろしたり、ときには背中のチャックを下ろして涼んだりする。これを見て、さすがの快獣もあきれて帰ることが多い。ときには『地球を守り隊』に頼まれ、負けたふりもする。あるいはジェットマンのかわりに人助けをする快獣までいた。
 そのたびにジェットマンはどうせぼくなんか必要ないんだと拗ねたりする、というのが毎回の展開だ。
 快獣は映画のタイトルのもじりが多かった。アンヨガジョーズ(鮫が宇宙からの怪電波を浴び、なぜか巨大化し、足まで生えてしまう。ただしバランスが悪くすぐ倒れる)、ヤセイノショウメイ(まだつかえるのに捨てられてしまった電気スタンドが野性化し、宇宙からの怪電波を浴び、なぜか巨大化した)、モエナイドラゴン(八幡様に住

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む蛇が、宇宙からの怪電波を浴び、竜になったうえに巨大化してしまう。ひどく冷めた性格。他人がなにかしていると、それって意味あるの、とか、やっても無駄だよ、などとすぐ水を差すようなことを言い、やる気をなくさせる)、ハッコウダワン(八甲田山に住む雪男の飼い犬。雪男であるにもかかわらず雪山で遭難してしまった主人の助けを呼ぶため、山を降りてきたが、宇宙からの怪電波を浴び、なぜか巨大化してしまう)、王麺(王貞治が756号を打った姿に感化されたラーメンが、自分もホームラン王になりたいと思っていたところに、宇宙からの怪電波を浴び、なぜか巨大化。やたらにバットをふりまわし、他人に迷惑をかける)、カアサンドコクロウス(みなしごで苦労を重ねてきた蜂が、宇宙からの怪電波を浴び、なぜか巨大化。地球を守り隊のおかげで親子の再会を果たすことができる。ちなみに名前は『カサンドラ・クロス』のもじり)などだ。

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 山本くん自身、観ているのもあるにはあるが、たいがいタイトルだけしか知らないもののほうが多い。快獣の数を数えたことはないが、たぶん五十から七十のあいだくらいだろう。
 ノートかなにかに書き留めておけば、正確な数もわかっただろうが、山本くんはしていなかった。もしそれが親か友達に見つかったときのことを考えると恥ずかしくてたまらないからだ。所詮は自分を楽しませる自分だけの話だ。自分の頭の中だけにとどめておけばいいのである。
 最近は、とはつまり小六になってから、『ジェットマン』はやや食傷気味になってきた。そこで山本くんは新しい話をつむぎだしはじめた。
 主人公の名はボンド。バビブベ・ボンド。
 コードネームは007・5。これはゼロゼロセブンテンゴと読む。もちろん、あの『007』のもじりである。
 山本くんはそのシリーズを劇場どころかテレビですら一

本も観たことがない。それでもうっすらと内容を把握していた。ジェームズ・ボンドが殺人許可証を持っており、なおかつ英国秘密情報部のエージェントであることもだ。
 そして演じている役者の名前がロジャー・ムーアで、その前にひとりいて、ただし、このひとは一作しかでておらず、さらにその前のひとがショーン・コネリーだとも知っていた。
 どこからその知識を仕入れたか、山本くんもよくわからない。淀川長治がラジオでしゃべっていたのを聞いたのだろうか。それとも和田誠の『お楽しみはこれからだ』に書いてあったのか。
 閑話休題。
 007・5ことバビブベ・ボンドはスパイになってから、殺し屋教習所に通い、殺人許可証を得た。だがこの三年のあいだ、日常生活ではもちろん、スパイ活動においてもこれまで一度たりとて、ひとを殺したことがなかった。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ