山本くんには 友達がいない  |  davinci

山本くんには 友達がいない

 
 
 
Yukihisa Yamamoto

 
 

第6回

 
 
 
山本幸久

 
 

6

前回までのあらすじ

小学6年生の山本くんは、中学受験生。毎週日曜日、いやいやながらも塾に通っている。学校にも塾にも、友達がいない山本くんだったが、いつも「合格祈願」のハチマキをしている南斗と、黒須というちょっとかっこつけた少年と知り合う。ある日、黒須につれられ、彼の姉・福子がバイトする喫茶店へと訪れた山本くん。そこへ現れたのは、黒須のいとこでもあるいじめっこの萩原。南斗も含めた4人でなぜだかカルボナーラを食べる羽目に…

 
 
 
 

 
 
 
 
 
山本幸久

第1回から読む

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 
 
 
 
 
Yukihisa Yamamoto

 
山本くんには友達がいない

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

山本くんには 友達がいない

 
 
 
 
 
 
 
 
        第6回

 

山本くんには 友達がいない

 この一週間ですっかり読み尽くしているので、あらためて読む場所はない。それでも新たな発見を求めてしまう。
 ぺらぺらめくっているうちに、山本くんは三週間前の日曜、はじめて会った女性のことを思いだしていた。
 黒須福子だ。
 代々木上原進学教室でおなじクラスの黒須神太郎のお姉さんで、新宿にある、喫茶店というよりバーのような灯りの乏しい薄暗い店でアルバイトをしていた。
 思いだしたのは顔ではなく、その店で転びかけたとき、山本くんの腕に巻きついてきた福子の腕の感触だった。
 母親以外の女のひとに、肌と肌をじかに触れたことなど、これまでなかった。あったかもしれないけど、とても小さい頃だろうし、せいぜい記憶にあるのは運動会のフォークダンス程度だ。
 だいじょうぶ?
 耳元で囁く福子の声もよみがえる。ほんとうに耳元だっ

昨夜、代々木上原進学教室の日曜模試のための勉強はほとんどできていないにもかかわらず、山本くんは九時過ぎに寝てしまった。朝早く起きてすればいいや、と思ったのである。
 たしかに朝早く起きたことは起きた。
 午前五時四十五分。
 時計には目覚まし用のアラームがついているが、一度もつかったことがない。寝る前にこの時間に起きるぞ、と念じれば、誤差五分程度で目覚めることができた。特技といっていいだろうが、だれに自慢していいかわからない。
 それはともかくだ。
 すぐにでも机に座って、さっさと勉強をすべきなのだが、そうはいかなかった。
 毎週、そうだ。その前に一休みと思ってしまう。そしてジャンプで埋め尽くされたカラーボックスのいちばん上段の右端にある先週号を手にとり、布団に横たわる。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 
 

たかどうかは怪しい。それほど近くはなかったかも。だが山本くんには、彼女の吐息が耳にかかっていたように思えてならなかった。
 福子に恋をしたのかといえば、どうだろうと首をかしげざるをえない。好きかどうかもよくわからない。ふたたび会う可能性が低い女性に対して、そうした感情を抱いてもしようがないとさえ思う。
 会おうと思えば会えないことはない。いたって簡単な方法がある。今日、日曜模試が終わったあと、黒須に、きみのお姉さんにまた会いたいんだ、このあいだの喫茶店へ連れていってくれないか、と言えばいいだけである。
 言えるはずがないのだが、言えたと仮定し、山本くんは想像をふくらませていく。妄想にふけるといってもいいだろう。
 ああ、いいぜ。
 黒須が快く承諾し、うなずくと、つづけてこう言う。

 姉さんもおまえに会いたがっていたんだ。
 ほんとに?
 ほんとさ。漫画の話をしたがっているよ。このあいだはつまらない邪魔が入って、悪かったな。
 つまらない邪魔とは黒須と福子のいとこ、萩原純路のことだ。三週間前、彼にからまれたところを黒須に助けてもらった。それが縁で、新宿の喫茶店へ連れてってもらったのだ。
 そうだなぁ。ああいった不粋なヤツとはなるべくなら同席したくないね。
 ほんとの山本くんはこんな軽口を黒須には叩けない。ほかのだれにもだ。
 ハチマキ野郎はどうする? 誘うかい?
 想像の中の黒須は山本くんに対して、妙にへりくだったしゃべりかたをする。
 福子の店には、やはり代々木上原進学教室で同クラスの

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山本くんには 友達がいない

山本くんには 友達がいない

南斗満天もついてきた。試験の最中はもちろん、それが終わって町にでても、池袋や新宿、そしてついには福子に店でも彼は『合格祈願』のハチマキをしたままでいた。
 あいつも悪いヤツじゃないし、誘ってやろうぜ。
 おまえはいったい何様だ。
 想像の中の自分を山本くんは茶化す。ふだんのおまえは語尾に「ぜ」なんかつけないくせして。
 妄想をそこで断ち切る。
 そのときになって山本くんは雨音がしているのに気づいた。雨戸を少しだけ開いて、外をのぞきみた。どしゃぶりだった。
 日曜日が雨だとひどく損をした気分になる。これが昨日ならば体育の授業を外でしなくてもすんだのに、と空を仰いで恨み言を言いたくなるほどだ。
 真剣にやれよな。
 体育の授業中、クラスメイトに叱責されたことを思いだ

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

し、山本くんは胸が苦しくなった。
 
 山本くんは一週間のうち、四日間は憂鬱だった。代々木上原進学教室の模試を受けにいかねばならない日曜日はもちろんのこと、平日の月木土も憂鬱だった。
 体育があるからだ。
 土曜日の体育なんて最悪である。週のいちばん最後が体育であることを、クラスのみんなはよろこんでいた。しかし山本くんは苦痛にほかならなかった。
 山本くんの週末の苦難はここからはじまると言っていい。学校から帰って日曜模試の勉強もしなければならない。そして翌日はその本番。
 とてもじゃないがサタデーナイトフィーバーなんて気分にはなれない。
 五月から、体育の授業内容がソフトボールになってからはことさらである。運動はすべて駄目だが、球技と水泳は

 

まう。
 体育の先生は山本くんをあきらめている。ほかのひとには丁寧に教えていても、山本くんにはなにも言わない。
 でんぐり返しでマットからはみでても、はじめのうちは手取り足取り教えてくれたが、最近はなにも言わない。それはそうだろう、どれだけ教えてもその甲斐がなければ嫌になるのは当然だ。
 授業内容がソフトボールになってからもそうだ。グローブがはめられず、まごまごしていると体育の先生に舌打ちをされた。
 おまえはいったいどんな家庭環境なんだ?
 そんなことを言われる始末である。
 ごく普通の中流よりやや下の家庭だ。
 山本くんのお父さんは野球に興味がなかった。お母さんや年の離れた兄は巨人のファンだがとくにそれを山本くんに強制することはなかった。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

山本くんには 友達がいない

 

もってのほかだった。跳び箱やらマット運動のほうがまだましだ。
 いずれにしたって満足にできやしない。跳び箱はせいぜい四段、マット運動だって、でんぐり返しくらいしかできない。それもごろりと転がればかならずマットからはみでた。だけどそれらは自分ひとりが恥をかくだけですむ。
 ソフトボールはそうはいかない。失敗すると同じチームの人間に責められるのだからたまらない。
 昨日はフライを捕り損ない、「真剣にやれよな」と数人から怒鳴られた。どれだけ真剣にやったところでできないものはできないのだ。
 山本くんにすれば、飛んでくるボールを長い棒で叩いたり、必要以上に大きい革の手袋で受け取ったりすることなど、どう考えても不可能なことだった。
 軽々しくそれらをやってみせるクラスメイトを見ていると、なにか魔法でもつかっているのではないかと思えてし

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

山本くんには 友達がいない

 

闘争心にかけているといえばいいか。そういう心持ちは恥ずかしいことと思っていた。
 ただし漫画でそうした場面があれば、主人公と同化し、この試合を負けてなるものか、と興奮することはできた。
 漫画で扱われている題材が、実際にはさほど面白味を感じられないということはよくあった。
 現実は辛く、味気ないものだった。
 試験会場である茗荷谷の大学へいっても、雨はやむことはなかった。大教室に入り、うしろから三列目の、いちばん端っこに座る。結局、朝は満足に予習をしなかった。いくら努力を積み重ねたところでできないものはできないのだ。
 試験がはじまるまで、まだ十五分ある。長い十五分だ。まわりのひとの真似をするように、山本くんも鞄から参考書をとりだし、開いてはみる。虚しいことこのうえない。
 黒須の姿をさがす。

 お母さん達が野球中継を観ているあいだ、山本くんは自室にこもって、漫画か本を読んでいた。
 体育の授業ではこんなこともあった。
 キャッチボールをするために当然だが二人組になる。前から五番目の山本くんは六番目の子と組むはずだった。だがその子は体育の先生が相手をした。
 山本、おまえは壁にむかって投げろ。
 体育の先生にはそう命じられた。
 やむなくひとり外れて、裏門脇で壁当てをした。屈辱を感じながらもほか人に迷惑をかけないのであれば気楽だった。壁に当てたボールすら捕れずにいたのだからやむをえないだろう。
 そもそもスポーツ以上に、ひととの争いごとが山本くんは苦手だった。
 勝った負けたを一喜一憂すること自体、意味がよくわからない。勝ってうれしいとも負けて悔しいとも思えない。

 ところがその黒須にハチマキをした男が近づくのが見えた。
 南斗満天である。
 旧来の親友のごとく、黒須の肩を小突いた。表情ははっきりわからないが、黒須は迷惑がっているにちがいない。
 南斗は山本くんの姿にも気づいた。大きく手を振っている。振りかえす勇気はない。一応、軽く会釈はする。
 そのくせ、こっちにこないか、と呼んでくれやしないかと、心のどこかで期待している。だが南斗はあっさり腰をおろしてしまった。
 なんだよ、まったく。
 山本くんはひとり落胆する。
 勝手なものだと自分でも思う。妄想の中では、南斗のことを、ハチマキ野郎だなんて軽んじているくせに、実際は黒須との架け橋をしてもらおうとしているんだ。図々しいにもほどがある。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

山本くんには 友達がいない

 

 いた。教室のほぼ真ん中に座っている。緊張をほぐすためか、大きく背伸びをしていた。
 ああ、いいぜ。
 妄想の中の黒須ほど、本物は気安くなかった。
 三週間前の親密さが夢のようである。あれから二度、この教室で顔をあわせてはいるものの、よぉ、とか、やあ、程度の簡単なあいさつを交わすだけで満足な会話をしていなかった。
 よく考えてみれば、いや、考えずともだ、ここで友達をつくるなんて莫迦げたことである。口幅ったい言い方になるが、ここにいるものすべてライバル同士である。
 親密になんかなる必要はない。このあいだ、黒須が荻原から山本くんを救ったのは、ほんのきまぐれだったにちがいない。受験勉強の合間の息抜き。そんなところか。
 いいんだ、それでいいんだ。友達はいらない。もともと学校にだっていない。山本くんには友達がいない。