山本くんには 友達がいない  |  davinci

 ところが黒須は「いいぜ」と答え、腕時計をかまえた。ごつくていろんな機能がついていそうなヤツだ。
「十五秒でいいんだな?」
「いや」南斗はハチマキに書かれた『合格祈願』の文字を両手でさすっていた。「十秒でいい」

 新宿駅からつながっている地下通路をけっこう長いあいだ歩き、ようやく地上にでたかと思うと、人通りの多い狭い路地の角にある雑居ビルに入り、オレンジ色の電灯が一つしかなく足下が見えないうえに、急な階段を落ちそうになりながら降りていった。ふたたび地下に潜ったわけだ。
 階段をくだり終わると、金属製の重厚なドアがあった。を模したカタチのノブに手をかけ、黒須はそれを開いた。
 店内も階段にあるのとおなじ色の灯りだった。さすがに一つではないが、数はじゅうぶんとは言えない。薄暗く、目がなれるまで時間が必要だった。

 南斗はハチマキから手を放し、『王様のアイデア』の店頭にサンプルとして置いてある知恵の輪の一つを手にとった。
「ぼく、知恵の輪が得意なんだ」
「話をそらすなよ」
 黒須がむっとするのも当然だ。しかしそんな彼にむかって南斗は言った。
「ここにある五つぜんぶ、十五秒で外せる」
「十五秒? それはいくらなんでも無理だろ。一つ三秒だぜ」
 その言葉を聞いて、南斗は不敵な笑みを浮かべた。
「できたらハチマキを外さなくてもいい? きみのお姉さんの喫茶店、連れてってくれる?」
 山本くんはあきれた。
 そういう問題じゃないじゃん。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

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「は、はじめまして」
お盆に空のカップやグラスを載せている女性に、南斗がお辞儀をした。
「ぼ、ぼく、南斗満天です。南に北斗七星の斗で南斗。満天の星の満天と書きます」
「ご丁寧にどうも。わたしはシンタローの姉の福子です。幸福の福に子供の子。おふたりはシンタローの友達?」
「はい、そうです」
 やけに張り切って南斗は返事をしている。
「いつから、おまえ、おれの友達になったんだよ」
 カウンターに腰かけ黒須が言う。山本くんに自分のとなりに座るよう手招きしている。
 そちらへいこうとして、山本くんは歩きだしたとき、床の段差にひっかかって、転びかけた。
「だいじょうぶ?」
 気づくと、自分の腕に白いやわらかなものが巻きついて

「あら、いらっしゃい」
 自らうっすらと光を放つかのようにいる女性がでむかえてくれた。中腰なのはいままで客がいただろう席の片付けをしていたからだった。
「カウンター、座っていい?」
 黒須が彼女に訊ねる。ずいぶん気安い。
「どうぞ、遠慮なく」
 女性は片付けをつづけながら答えた。彼女が黒須の姉さんであることは、ふたりの会話を聞いているかぎりでは間違いなさそうだ。
 彼女の年齢はいくつか、山本くんは判断つきかねた。女性の歳を推測するなんてことを、十二年の短い人生でしたことがない。格好はいわゆるウェイトレスのそれではない。ロングドレスだ。

 
ブンゲイ ダ・ヴィンチ

山本くんには 友達がいない

 

 かわりに黒須が答えた。
「ああ、そうなの」
 福子はカウンターの中へ移動した。彼女の背中にある棚には、お酒の瓶が並んでいるのが見える。ここはほんとうに喫茶店なのだろうか。
「ねえ、ここって喫茶店なの?」
 山本くんの疑問を南斗が口にした。彼は段差でこけることなく、カウンターのところまでたどり着き、黒須のとなりに腰かけていた。
「昼間は喫茶店、夜はバー。いまはその狭間の時間」と福子が答える。「みんな、なに飲む? シンタローはトマトジュースでいいわよね」
「ああ」
「ぼくもトマトジュースをお願いします」
「南斗くん」
「なんでしょうか? あっ、もしかして、これ、とらない

いた。
 福子の手だった。
「だ、だいじょうぶです」
 山本くんは自分の顔が赤らむのを感じた。しかしこの薄暗さではだれにもわからないだろう。
「あなたは?」
「はい?」
「名前」
「や、山本です」
 福子の手が離れていく。彼女はもう片方の手にカップやグラスの置かれたお盆を掲げていた。ふりむいた際、ドレスからのぞかせていた胸の谷間に目がいってしまい、山本くんは動揺した。
「あなたもシンタローの友達?」
「あ、いえ。その」
「この上の漫画専門店にジャンプ、買いきたんだよ」

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山本くんには 友達がいない

 じつのところ、山本くんはトマトジュースを飲んだことがなかったが、ほかのメニューを頼む勇気はなかった。いや、それよりも。
「あ、あの、ぼく」
「どうした?」と黒須が訊ねてくる。
「お金、ないんだけど」
 財布にはもう五百円もない。ジャンプと八王子までの電車賃がやっとだ。
「気にしないでいいわよ。わたしのおごり」
 笑いながら、福子は三人それぞれの前にコースターを置いていった。

 いったいぼくはここでなにをしているのだろう。
 はじめて飲んだトマトジュースは思ったよりもまずくなかった。それをりながら、山本くんはぼんやり思う。
 ここへくる前に黒須は山本くんに、うちの姉貴と話があ

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とまずいですか」
 これとはもちろんハチマキだ。南斗は『王様のアイデア』の店先で、五個の知恵の輪を十秒ジャストでぜんぶ外した。
「ですが、あの、これは合格するその日まで」
「もう少し、声のボリュームさげてくださらない?」福子は南斗の言葉を遮った。「ほかのお客さんの迷惑になるわ」
 広くない店内には入り口間近に背広姿の男性がひとり、奥のほうに大学生らしきカップルが一組いた。たしかにカップルの男のほうが、こちらを窺っている。怒ってはないようだが怪訝な顔つきなのは薄暗くてもわかった。
「す、すいません」
 南斗が殊勝にあやまった。 
「山本くんはなにがいいかしら」
「ぼくもおなじで」

 

 福子は手を休めた。額にうっすら汗をかいているのがわかる。
「『ドリトル先生』はお読みになりますか?」
 南斗がそう質問したときだ。ドアの開く音がした。
「あら、ジュンジくん。ひさしぶり」
 ジュンジ?
「なんだ、ジュンジ」黒須が鋭い声で言った。「どうしてここに」
 山本くんはおそるおそる振り返った。
 ドアを開けたまま、ハギワラジュンジが立っていた。
「おまえたちこそどうしてここにいるんだ?」
                      〈続〉

いそう、と言っていた。しかしだからといって、山本くんと福子との橋渡しになり、話をさせようとはしなかった。彼は無言でトマトジュースを啜っているだけだ。
 福子はカウンターの中で大きな氷をアイスピックで砕いている。アルバイトだというが、店には彼女以外に働いているひとは見当たらなかった。
 ジャンプはこの上の漫画専門店で売っていると言ってたな。そろそろ帰らねば親が心配する。トマトジュースを飲み終わったら、帰るとしよう。しかしなんと切りだせばいい? おっと、そうだ、ここから新宿駅までの道のりがわからないぞ。帰りも黒須につきそってもらわないと。それはどうお願いすればいいんだ。
「お姉さんは」南斗が唐突に言った。
「え? わたし?」
「はい」
「なにかしら?」

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第5回を読む

 
山本くんには 友達がいない
  • 著者:山本幸久
  • イラスト:フジモトマサル
作 成 日:2008 年 10月 28日
発   行:山本幸久
BSBN 1-01-00018721
ブックフォーマット:#429

Yukihisa Yamamoto

(やまもと・ゆきひさ)
1966年、東京都生まれ。『笑う招き猫』(「アカコとヒトミと」を改題)で、第16回小説すばる新人賞受賞し、デビュー。近著に『渋谷に里帰り』。

山本幸久

 

 
 
 
山本幸久

 
 
 
Yukihisa Yamamoto