ニリンソウ  |  davinci

Miri Masuda

 
 
 
 

益田ミリ

読み切り連載シリーズ 3

ニリンソウ

  
 
 
 
益田ミリ

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 
 
  
 
Miri Masuda

     WEBでしか読めない、
    益田ミリの連載シリーズ!
 
第1回 『バリケン』
第2回 『渡良瀬橋』
第3回 『ニリンソウ』

第1回を読む

 
 
 
 

 
ニ リ ン ソ ウ

 

 
 
 
 
 
 
佳乃は、老いた母と東京の公園を歩く。
住み慣れた大阪を離れ、東京の弟の家に引っ越してきた母。
結婚して今は福岡に住む佳乃は、かつての家族と、いまの家族を、それぞれ思い浮かべる。

ニリンソウ

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 今日はぜったいに泣いてはいけない。
 朝起きたときからそう心に決めていたのに、わたしは今にも泣き出してしまいそうだった。だからギュッと口角をあげ、こうして母の隣を笑顔で歩いている。
「ほんま、東京にもこんな自然があるんやなぁ」
 やわらかな葉をつけたばかりのモミジの木を、母が眩しそうに見上げている。
 春の公園は、まだ少し肌寒かった。母が首元に巻き付けている薄手のストール。わたしのはじめての給料でプレゼントしたものだ。20年前はもっと深い紫色だった気がする。
 わずかに残る桜の花びらが、ひらりと地面に落ちてゆく。
 ソメイヨシノ。
 4月生まれのわたしは、ソメイヨシノからとって、佳乃と名付けられたのだ。

 

ニリンソウ

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

「ほら見て、佳乃、あれ、オドリコ草やわ」
「どれ?」
「ほら、あそこ、あの南天の木の下、花が白いやつ」
 草花が好きな母と違い、わたしにはどの木が南天かすらわからなかった。だけど、母の言うオドリコ草をなんとか見つけられた。
「ああ、あれ? オドリコ草っていうの?」
「そう、そう、かわいらしい花やろう? 小さい花がくるっと輪っかになってるのんわかる? あれ、踊子さんたちが手ぇつないで踊ってはるみたいやから、オドリコ草言うんよ」
 そう言われてオドリコ草を見てみれば、なるほど、白いドレスを着た踊子たちが楽し気にダンスしているようでもある。
 母は昨日、長年住み慣れた大阪の街を離れ、東京に越してきたのだ。

 
 家族なんかいりません、わたしはひとりのほうがいいです。
 
 わたしがそれだけ書いて提出したのを心配してくれたのだ。
 母は先生の前で泣き出した。
「佳乃、なんでこんなこと思うん? お父さんもお母さんも、あんたのこと大事に思ってんの、わからへんの?」
 わたしは母を泣かせてしまったことで泣き出し、2歳下の弟は、母とわたしがいじめられていると勘違いし、先生にサッカーボールを投げつけて泣き出した。
 そんな中、父だけがいつもとかわらず落ち着いていた。
「なぁ、佳乃、この作文、なかなか面白いこと書いてあるなぁ。そやから先生もこうやって来てくれはったんや。お前はすごいなぁ。なぁ、佳乃、この作文どういう意味か、ちょっとだけお父さんに教えてくれへんか」

 

ニリンソウ

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 と言っても、家財道具はほとんど処分したし、身の回りの物も先に宅配便で送ってあった。だから、新幹線に乗ってちょっと東京に遊びにきたみたいな身軽さだった。
 でも、もう、母に帰る場所はないのだ。
  
 父と母とわたしと弟。
 わたしたちは、とても、よく馴染んでいた。そろって本好きで、4人で旅行にでかけても、夜はそれぞれに読書を楽しむ。そんな家族だったのだ。
 母は歴史小説が好きで、いつも年表をそばに置いて、ときどき何かを調べたりしながら読んでいた。父と弟はいろんなものを幅広く手に取った。そして女流作家ばかりを読むわたしを見ては、男にも目をむけてくれよと笑うのだった。
 小学生の頃、わたしが書いた作文を読んだ担任の教師が、夜になってうちにやってきたことがあった。 
「わたしの家族」という作文の宿題に、

ニリンソウ

 夫は、毎日のように残業だし、おまけに出張も多い。休みの日は、雨に打たれた洗濯物みたいにだらりとなっている。もっと麻奈と遊んでやって欲しいけど、寝言で誰かに謝っている姿を見てしまえば、そんなことも頼みづらい。
 それに。
 お義母さんの干渉には、もういい加減うんざりしてる。だいたい、わたしたち夫婦の部屋に、何も言わずに入ってくる気がしれない。二人目はまだなの? なんて言うくせに(これも、またうっとうしいけど)、いきなり部屋を開けるって矛盾してないか? 角がたたないようやんわりと注意すれば、あら、すみませんねぇ、ふすまでもノックしないとねぇ、なんて、まるで思春期の中学生をなだめるみたいに苦笑される。
 そしてまた、同じことを繰り返すのだ。
 悪気がないのはわかっているけれど、鈍感すぎるのは一種の悪気じゃないのか?

 わたしは、泣きながら説明した。
「いつか、お父さんとお母さんが、おじいちゃんとおばあちゃんになって死ぬと思たら悲しくなって、そんなら、はじめっからおらんかったら悲しくならへんと思って、そんで書いた」
 これを聞いた父までが涙を浮かべ、結局、担任の若い女性教師もつられて泣いた。あの夜、我が家のリビングは、泣いている人間で満員だった。
「佳乃が一番に家族から抜けたなぁ」
 わたしの結婚が決まったとき、父も母も、懐かしそうにこの作文の話をして笑っていた。
 結婚後、わたしは夫の実家がある九州に引っ越し、そこで娘の麻奈を産んだ。
 ぜんぜん自信がない。
 父と母がつくった以上の「家族」をつくれると思えない。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 

 いっそ、お義母さんが部屋にやって来そうなときを見計らって、すっ裸で順哉と抱き合っていてやろうか。残念ながら、もうそういう行為もずいぶんしてないんだけれど……。
 お義母さんだけじゃなく、お義父さんにも困ったものだ。麻奈にピアノを習わせたいって、チラッと口にしたのはわたしだけど、なにも勝手にピアノ教室に申し込んでこなくてもいいじゃないか。わたしは娘の気持ちだって聞いてやりたかったんだ。わたしの両親がそうしてくれたみたいに、麻奈の気持ちも聞いてやりたかったんだ。
 なにもかも、わたしが愛した家族のかたちとかけ離れている。いつもいつもテレビの音が響いているリビングにも頭が痛くなる。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

ニリンソウ

 
 

ニリンソウ

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

へこっちへ連れ回すことになる。
「まだまだ元気、貯えもあるからひとりで大丈夫」
 母もそう言うし、そのことは、いずれ考えようと先延ばしにしていたのだ。
 東京に住む弟の玲司から、電話があったのは3ヶ月前のことだった。
 実家が火事になったと言われた瞬間、わたしは携帯を持つ手の震えがとまらず、そのせいで玲司の声がよく聞きとれなかった。
 幸い台所の壁が焦げただけで母に怪我はなかったけど、自分がボヤを起こしたことで、母はすっかりふさぎ込んでしまった。
 何度か様子を見に大阪に帰っていたものの、わたしも、そう九州の家を離れるわけにいかない。なにより、このまま同じマンションに住みつづけるのでは、母も肩身が狭いだろう。

 平日の公園には、若い母親同士が集まって子供たちを遊ばせている姿があった。洋服を着た小さな犬が、木につながれたまんま仲間に入りたそうにしていた。
 隣を歩く母は、時おり空を仰いで深呼吸したり、立ち止まって草花を観察したりしている。のどかで、ゆったりとした午後を過ごしているように見えた。
「ほら佳乃、これ、この花、ムラサキケマン」
「へぇ、小さいラッパがいっぱいついてるみたい」
「ほんま、ほんま」
「ほら、お母さん、あそこにも」
「ああ、あれ? あれはジロボウエンゴサク。似てるけど、ちょっと小さいんよ」
 母のこめかみあたりの白髪。ほお骨から耳にかけて目立つ濃いシミ。こうして横顔を見れば、母は老人だった。
 父が亡くなった後、母はずっとひとりで暮らしていた。気にかかってはいたけれど、わたしはすでに福岡で夫の両親と同居していたし、転勤が多い弟の家では、母をあっち

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 相談した結果、玲司が東京に母を呼び寄せることとなったのである。
 マンションを売り払ったそのお金ごと引っ越しする、母のこれからの人生。
 玲司は、大阪本社に栄転が決まれば、母のお金をマイホーム資金にすると言っていたけれど、その家に、母は何年暮らせるだろう。せめて間に合ってくれれば。母をまた、なじんだ大阪の地に戻してあげたかった。

「ほらほら、佳乃、あそこ、ニリンソウがあんなにぎょうさん咲いてるわ!」
 母が柵から身を乗り出して指さしている草むらを見れば、白い小さな花が集まって咲いていた。
「ニリンソウいうの?」
「そう、ニリンソウ。こんなところに咲いてるなんて、はぁ、びっくり」
「なに、めずらしい花?」

「昔、そうやなぁ、お父さんと結婚してすぐの頃、ふたりで上高地に旅行したとき見たことあったけど、それ以外でこうやって見たの、お母さんはじめてや」
「なんで、そんな珍しい花が東京に咲いてるんやろう」
「さぁ、なんでやろうねぇ。偶然、ええあんばいの環境やってんやろうなぁ。ニリンソウは土に水分が多ないとあかんし、いろいろ難しいんよ」
「そうなん?」
「土ごと持って来て他のところに植えても、なかなか育たん花なんよ」
 玲司の家族に、母はちゃんと根付けるのだろうか。
 そんなわたしの心配をよそに、母は立ち止まったまま「きれい、きれい」とはしゃいで花を眺めている。
 ここから逃げたかった。
 どちらにしろ、明日の朝には母を残し福岡に戻らなければならないのだけれど、明るく振る舞っている母から、