バ リ ケ ン  |  davinci

 おじさんは、わたしを食パンと言った。色が白くてこざっぱりしてるから。すごく嬉しかったのに、ともよちゃんは「食パンじゃ美砂ちゃんがかわいそう」と怒り、最終的にはメロンパンということでおさまった。
 冬空の下、久しぶりに食べるメロンパンは、苦しいくらい懐かしい味がした。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

バ リ ケ ン

 

バ リ ケ ン

買っても開く気になれなかった。わたしがどんな仕事についたとしても、わたしだけが教師じゃないという意味では、結局、どこまでいってものけものなのだから。
 

 風が吹くたび、池にちりちりと皺が寄る。反射した太陽が光っている。今日は、めずらしくオシドリが10羽ほど来て泳いでいた。その向こうにコガモの群れが見える。
「さっき、オオタカが出ましたよ」
 バードウォッチングに来ているおじいさんが、声をかけてきた。彼らは「出る」という言葉で、鳥を見たことを告げる。
 ここに立っていると、わたしも同じ鳥好きに映るのか、よくこうやって声をかけられる。おじいさんの首からは、大きな双眼鏡がぶらざかっていた。
「オオタカ、わたしは見られませんでした」

 ロウバイの花が明日にでも開きそうだった。黄色いつぼみがぷっくりと膨らんでいる。鼻を近づけてみると、甘い香りがした。
 2年つづいた甥っこの子守役も、あと一週間でおしまいになる。兄の再婚が決まったのだ。それは兄が言うところの、わたしの「仕事」の消失だった。
 もちろん、こんな子守り生活が永遠につづくと思っていたわけじゃない。甥っこが日増しに大きくなっていくのは、そばで見ていてよくわかったし、小学校へあがってしまえば、いづれ送り迎えも必要なくなる。今はなついてくれているけれど、なにもしないでいる叔母さんをバカにするようになるのかもしれない。
 甥っこは兄とともに出て行き、新しい群れの一員となる。わたしは再び、はぐれ者となってただようのだ。
 働きたくないわけじゃない。
 むしろ立派に働かなければという気持ちが大きすぎて、どうしていいのかわからなくなっている。就職情報誌を

 
ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 気をつかって、少し残念そうにしてみせると、おじいさんは得意になって話しはじめた。
「去年のこの時期にね、この池で、オオタカがカルガモを捕らえるところを、偶然、見られたんですよ。こうね、すーっとオオタカが水面にむかって降りてきてね、そのとき、いっせいに他の鳥は飛びたったんですがね、一羽だけ、カルガモが逃げ遅れて、オオタカは、こうねぇ、ガシッとカルガモの羽根をつかんで、水中に沈めたんですよ」
「窒息させるんですか?」
「そうそう。それで、カルガモが動かなくなったらね、足でカルガモをつかんだまんま、自分の両方の羽根を、船のオールみたいにして掻いてね、岸にカルガモをあげたんですよ」
「すごいですね」

「そう、ほんとね、あれはすごかった。残念だったのが、カメラを持って来てなかったことですよ」
「今日は、たくさん見られたんですか?」
「そうですねぇ、今日は結構見られましたでしょうか」
おじいさんは「鳥はいいですね」と笑った。
「さっき、林のほうからキョッキョッと鳴く声がしたんですけど、あれはなんの鳥だったんですか?」
「ああ、それはつぐみですな。かわいい鳥ですよ」
「つぐみですか」
「ヒューヒューと口笛みたいに鳴くのはウソですよ」
「嘘?」
「ウソね、鳥の名前の。あごのあたりがピンク色でね、きれいな鳥ですよ。それも今日出ました」
「ウソですか」
「本当なんですけどね」
 ふたりで笑いあった。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

バ リ ケ ン

 

 気がつくと、バリケンが、わたしたちのすぐそばまで、よたよたと歩いて来ていた。餌をもらえると思っているのだ。おじいさんはバリケンには目もくれず、双眼鏡で、遠くの水鳥たちを愛おしそうに見ている。
 バリケン、お前は違うんだよ。ここでは、お前は本当の野鳥じゃないんだから。おじいさんの邪魔をしてはいけないんだよ。
「じゃあ、わたしはこれで失礼します」
 おじいさんが手帳をポケットにしまって立ち去ろうとするのを、わたしは思いがけず止めていた。
「あの、あの、すみません、今日見た鳥の名前、ぜひ見せていただけませんか? わたし、鳥のこと、もっと知りたくて」
 おじいさんは、ああ、はいはい、いいですよと快く手帳を開いてくれた。

 カワウ 1 
 オシドリ 9
 カルガモ 50
 コガモ 21

 鳥の名前はどんどんつづいていく。

 キジバト 3
 キセキレイ 1
 オオタカ 1
 ツグミ 11
 ウソ 10

 こんなにたくさんの鳥が、この池の付近にいるのか。
わたしは祈るような気持ちで、おじいさんの手帳の先を目で追う。そして最後の一行に、こう書かれてあったのを見て、胸が高鳴った。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

バ リ ケ ン

 
 

 
 バリケン 1

 バリケンは、おじいさんの手帳に記されていた。バリケンはカウントされていた。数えない鳥なんか、おじいさんにはいないのだ。鳥は、すべて、鳥だった。
 おじいさんが帰り、餌をもらえないとわかったバリケンも、再び、泳ぎに行った。嫌味ったらしく、わたしの目の前で水っぽいフンをしてから。
 もうすぐお昼だ。甥っこのお迎えにいかなければ。
 バリケン、じゃ、また後で。

         ー END ー

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

バ リ ケ ン

バ リ ケ ン
  • 著者:益田ミリ
  • イラスト:益田ミリ
作 成 日:2008 年 10月 31日
発   行:益田ミリ
BSBN 1-01-00018226
ブックフォーマット:#429

益田ミリ

 

1969年、大阪生まれ。イラストレーター。
ふとした日常のつぶやきを切り取った「つぶやき川柳」やエッセイ、マンガの著書多数。「ダ・ヴィンチ」本誌では「わたし恋をしている。」連載中。
近刊に『上京十年』(幻冬舎文庫)、『大阪人の胸のうち』(光文社知恵の森文庫)。

Masuda Miri

ひとりきり、公園で時間をつぶす27才の
“わたし”。
公園にはツグミやオシドリなどたくさんの野鳥が訪れるが、なぜか中南米産のバリケンが一羽、まぎれ込んでいた……。

 
 
 
Masuda Miri

 
 

 
 
 
益田ミリ