バ リ ケ ン  |  davinci

 
 

読み切り連載シリーズ 1

 
益田ミリ

 
Miri Masuda

 

バ リ ケ ン

 
 

     WEBでしか読めない、
    益田ミリの連載シリーズ!

第1回 『バリケン』

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 
 
 
 
Miri Masuda

 
バ リ ケ ン

読み切り連載シリーズ

 

 
 
益田ミリ

 
 
 

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 

 
 
 
 
 
 
ひとりきり、公園で時間をつぶす27才の“わたし”。
公園にはツグミやオシドリなどたくさんの野鳥が訪れるが、なぜか中南米産のバリケンが一羽、まぎれ込んでいた……。

バ リ ケ ン

 そいつは、ある日突然やって来た。
 そいつは、「そいつ」としか言いようのないふてぶてしい顔をして、池のほとりに立っていたのだ。
 バリケンというのが本当の名前だ。

 家の近くの公園に、大きな池がある。わたしは、毎朝、甥っこを幼稚園に送った後、ひとりで池のまわりをぶらついている。なにをしているのかというと、昼過ぎに幼稚園が終わるのを待っているのだ。
 母親たちの中には、お迎えの時間まで駅前のファミレスでお喋りしているグループもあるようだけど、わたしは誘われない。ご一緒にどうですか? 最初の頃、声をかけてはくれたんだけど、行けない理由を言うと二度とお声はかからない。「お金ないんで」。それは本当のことだった。
 いつのまにか、はぐれてしまっていた。就職も、アルバイトも、結婚もせず、両親のいる実家で暮らしてる27才の

女は、わたし以外にもたくさんいるのではないかと思うが、たくさんいるからと言って、その者同志が群が、たくさんいるからと言って、その者同志が群れをつくるわけでなく、われわれは、それぞれにはぐれているのだ。
 そしてわたしは、今さっき、甥っこを幼稚園に送り届け、いつものようにこうして公園にいる。池に向かって、アキレス腱をのばしたりしながら。
 真冬の青空はうすい。溶かし過ぎた絵の具のように、水色が、空に染み込んでふやけて見える。林のほうから、キョッキョッと鳥の鳴く声がした。愛嬌のある声だけど、何の鳥かは知らない。
 天気予報では昼前から雨マークだったが、今のところ、晴れている。もし雨が降り出しても、ボートハウスの脇に小さな喫茶店があるからそこに飛び込めばいい。どちらにしても、わたしは窓辺の席を陣取って、ぼうっと池を眺めて時間をつぶすのだ。

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

仲間はいないようだった。カルガモやコガモ、その他の水鳥たちが、そいつをまったく無視し、平然と泳いでいるのを見ると、意外に大人しい鳥なのかもしれない。おそるおそる店を出て池に近づいてみたが、わたしに気づいているのかいないのか。バリケンは、ただ不機嫌な顔をして水面に浮かんでいた。
 そもそも、渡り鳥でもないのに、どうして中南米の鳥がこの池にやって来たのだろう?
 誰かに捨てられたのかもしれないし、走って逃げて来たのかも知れない。
「バリケンは、ものすごく繁殖力があるから、生態系を考えれば、つがいになると、ここの池でも問題になるんじゃないかなぁ」
 マスターが言っていた。
 今は一羽だけだから放っておいてもらえるけれど、二羽になると追い出されるの?
 果たして、どちらがバリケンには幸せなのだろう。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

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 バリケンは、本来ここにはいない中南米の鳥なのだ、ということを聞いたのは、この喫茶店のマスターからだった。脱サラして喫茶店をはじめたという、50 過ぎのマスターが入れる曳きたてのコーヒー。うまからず、まずからず。雨の日以外、わたしがコーヒーを飲みに行かないのは味のせい、ではなく、もちろん、わたしのお財布事情である。
 バリケンは、とてもグロテスクな顔をしている。七面鳥に似ているけれど、もっと毒々しい。ロウ細工みたいに硬そうな赤い顔。あひるより大きい。白と黒とが混ぜこぜになっている羽根。太くて大きな足で歩く姿は、もはや小型の恐竜のようだ。目つきも悪い。
 だから、はじめてそいつを見た朝、わたしはすっかりひるんでしまった。雨も降っていないのに喫茶店に入り、コーヒーを飲みつつしばらく様子を見ていた。
 そいつは、岸に上がって突っ立っていたり、かと思えば、ゆっくりと池に入り、ぷかぷかとただよっていた。

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 バリケンが現われて数ヶ月になるが、渡り鳥たちがたくさん集まる冬の池では、どの群れにも入れてもらえない姿が、どうしても淋しそうに見えるのだった。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 

 今の、わたしの唯一の仕事は、甥っこの子守りである。
 兄は、離婚後、幼いひとり息子を連れて実家に戻って来た。そして、妹のわたしを勝手に子守役に任命したのだ。
「取りあえず、お前にも仕事ができてよかったじゃないか」
 恩着せがましく笑ったあの日の兄を思い出すと、今でもムカッとする。
 だけど、兄の言ったことは事実だった。父にも母にも、それまでさんざん説教されつづけていた。
 大学まで出て、お前は一体なにをやっているんだ、と。なんにもやってないから怒られているはずなのに、なにをやっているんだと怒られていたわたしの毎日。孫の面倒をみる「仕事」についたとたん、ぱったりと何も言わなくなった。恐るべき孫の威力。
 父も母も、そして兄までもが教師である。父と母は別々の高校で国語を教えている。兄は中学の社会科の教師だ。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

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わたしが小学校の先生になれば、文教ファミリーの完成だったのである。それは昔から父のくだらない冗談になっていたのだけれど、兄が教師になると、結構、本気の空気になっていた。わたしは、教師どころか、結局、就職することさえしなかった。
 兄は、わたしに渡す月々3万円という子守り代でさえも多すぎると思っている。
 小さい子供を見るのがどれだけ大変だと思っているんだ? 目を離すとすぐにテーブルの上からジャンプしようとするし、何度叱ってもコンセントをいじくるし。「電気ビリビリがくるからダメ!」。ビリビリしたことがないから、ちっとも懲りない。それに、いつだって突然駆け出すから、今朝も玄関先で自転車にぶつかりかけた。
 あの、細くて、小さなからだに納まっているいのちを守ってやらなければならない緊張感が、兄には本当には理解できていないのだ。だから妻にも逃げられたのだ!

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 大人の事情がわからない甥っこは、わたしのことを無防備に頼りにしている。幼稚園が終わったあとの、ながい、ながい午後は、いつも、わながい午後は、いつも、わたしたちふたりっきりの時間だ。
 子供は好きだ。でも、先生にはなりたくない。「せっかく教員免許とったのに」などと言われても、なりたくないものはなりたくないのだ。免許をとったのは、ただの意地だった。
 甥っこは小型恐竜みたいなバリケンが怖いのだけれど、その怖さに惹かれるようで、バリケンが出現してからは、ほぼ毎日、この池に散歩に来ている。きっと、今日もまた「行こう」とせがまれるだろう。喫茶店のマスターが餌をやっているので、バリケンは、たいてい同じ場所をうろうろしているのだ。

「こんにちは」
 振り向くと、公園の植え込みの向こうにパン屋のおじさんが見えた。小学校時代の同級生のお父さんでもある。自転車のカゴから食パン1本とフランスパン2本が飛び出している。
「こんにちは、配達ですか?」
「そう、そこね」
 おじさんはボートハウス脇の喫茶店をアゴでさした。 いつもは奥さんが配達しているけれど、今日はおじさんだった。おじさんの笑っていない顔を、わたしは見たことがない。まあるい笑顔だった。
「甥っこさん、美砂ちゃんが面倒みてるんだって?」
 自転車にまたがり、ヨロヨロして立っている。サドルが奥さんの高さにあわせたままなのだ。 おじさんは小柄で、太っていた。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

「今、幼稚園に送って来たとこなんです」
「そう、そりゃごくろうさん」
 おじさんの「ごくろうさん」は、本当にそう思って言ってくれている感じがした。定職にもついていないわたしのこと、知っているはずなのに。
「お父さんとお母さん、元気にしてるの?」
「はい、おかげさまで」
「そう、なによりだ。美砂ちゃん、メロンパン食べるかい?」
「はい」
 おじさんは去って行った。わたしの手のひらには、まだ少しあたたかいメロンパンひとつ。立ったまま、ぱくりと頬張った。
 パン屋のともよちゃんとは、3、4年生のときに同じクラスだった。焼き立てのパンがおやつに出たので、みんなともよちゃん家に行きたがったものだ。
「おーい、好きなパン取りにおいでー」

 1階の店からおじさんの声がすると、わたしたちはドタドタと階段を降り、パンをひとつ選んだ。どれも美味しそうで、いつも決めるのに時間がかかった。
ある時、おじさんが子供たちをパンにたとえてくれたことがあった。あんまりぴったりだったから、今も忘れず覚えている。 まゆちゃんは、真っ黒できれいな髪だからチョココロネ。なっちゃんは、赤い服がよく似合うからジャムパン。
「ねえ、パパ、ともよは?」
 おじさんは、ともよちゃんの顔をじーっと見てこう言ったのだ。ともよは優しい声だから、優しい味のクリームパン。
 みんなの前で「ともよは優しい声だから」とお父さんに誉められているともよちゃんのことを、わたしは、驚いて見ていた。わたしは父にも母にも叱られてばかりだったから。

 

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