マリン・ロマンティスト  |  davinci

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

っと彼も安心して、わたしとの結婚に目が向くと思うんです」
 二十四歳は、強い。あらゆる意味で。
「君の気が済むなら、そうすればいいんじゃないかな」
 とうなずきながらも、聞かずにはいられなかった。
「どうして、俺にそれを話したわけ? もっと君に年の近い社員も、いっぱいいるわけで」
 まだ希望を捨てたくはない。女性は誰彼なしに恋愛相談はしないはずだから。
 若葉は切り終えた野菜をざるに積み上げながら、微笑んだ。
「他の男の人はだめ。子供だから」
「俺は、大人?」
「そう。かっこいいし。スーツ姿もいいけど、こういうTシャツもよく似合ってます」
 一気に血液が元気よく流れ出したのを、陽一は体感して

いた。
「そうかな」
 彼女はくすっと笑った。
「もっともわたし的には、男の人としてかっこいいっていうより――」
 嫌な予感がする。
「何」
「人間としてかっこいい。そう思います」
 最後に切っていたタマネギの輪切りが、大きく歪んだ。さらに追い討ちが掛かった。
「社長みたいな人がいてくれると、年をとるのが怖くなくなる気がするんです。自分のこと、さらりと『オヤジ』なんて言えちゃう人、そうそういないですよ。うん、人間としてかっこいい」
 違うんだ、それは君が『オヤジなんかじゃない』と否定してくれることが前提だったんだ。まさか全肯定されるな

マリン・ロマンティスト

 
 

んて思いもしなかったよ。されるなんて思いもしなかったよ。男に言っちゃいけないよ。人間としてかっこいいなんて、本当に虚しい褒め言葉なんだ。
  陽一は目頭をぬぐった。もちろん、タマネギのせいだが。

  






          3:40AM





 

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

マリン・ロマンティスト

 

マリン・ロマンティスト

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

「じゃあ、昼間の会議の続きでもやるか」
「やぁだ」
 彼女はほぼ一回り下の三十五歳で、女子では最年長だ。創業以来の社員という気心知れた関係のため、二人きりになると敬語はほぼ消える。
「俺が、昼に言ったこと、根に持ってる?」
「何」
「落ち葉だの枯葉だの」
「いつものことじゃないの」
「だって、富原や内藤に人でなし扱いされたからさ。女性の年齢をからかう話は、まずいのかな、と」
「今頃わかったの?」
 秋美はふふっと静かに笑い、陽一の隣の椅子に座った。
「午前三時過ぎて、江ノ島の灯を見ながら、君と艶っぽい話をするわけでもなく。俺は本当に枯れたのかなぁ」
 若葉の言葉が、また脳裏をよぎる。人間として、か。

 階下で、若者たちがゲームに興じている。そこに混ざる気分にはなれず、陽一は再びテラスに出た。夕方よりも風が強まっていて、Tシャツの裾がぱたぱたとはためく。国道もようやく交通量が減って、波の音がざざーっ、ざざーっとひびいてくる。
 手に持っていったコロナビールをテーブルの上に置いた。カクテル、ワインとさんざん飲んだ挙句、また出発点のビールに戻してクールダウンしているところだった。
椅子の下に、誰かが落とした箸が一本、転がっている。それを部屋のゴミ箱へ捨てに戻ろうとしたところで、鉢合わせした。
「おう、秋美。まだ寝てなかったのか」
 メイクを落としたせいか、顔色がやや悪い。丈が長めのグレーのワンピース。普段パンツばかり履いていて、意外にきゅっと締まっているくるぶしを、滅多に見せない。
「目が覚めちゃって」

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

「さっき、わたしも枯れた夢を見ちゃった」
 苦笑する秋美の後れ毛が、風に煽られふんわりと漂う。
「どんな夢」
 他人の見た夢ほど興味のない話題はない、というのが陽一の持論だが、思考力が鈍ってきた今なら、快く聞いてやれる気がする。
「あのね、若い女の子に怒られたの。『わたしの彼の心を、いつまでも独占しないで』って」
「その女の子は、君の知ってるやつ?」
「うん。でも、表情が硬いから、全然知らない他人みたいにも見えて」
「なにせ夢だからな」
「そう。でも、わたしは思い当たることなくて。だってフラレたんだもの。もう何年も会ってなくて、これからだって会うことはなくて。なのに、彼女は言うの」
「なんて」

「他の人と、結婚してほしい。そうじゃなくても、誰かと付き合って幸せなところをはっきり見せて、って」
 頭の回路がうまくつながらない。時間帯のせいか、酒のせいか。同じ話をどこかで聞いたはずなのだが。
「それで、君は」
「考えてみる、って言ったの」
 会話をしながら、ようやく回路がつながったのを陽一は自覚した。彼女の話は、夢ではない。きっと。
「君自身は、その男のことを」
「気持ちなんて、なかなか変わらない。もうあきらめる!って海に向かって叫んだって、その言葉を波がまた押し返してくる感じ」
「でも波はいつか引いていく」
「でもまたすぐに寄せてくる」
「なのに君は『考えてみる』って答えたんだ」
「その若い子がね、約束してくれたの。彼がもし病気にな

ったり、つらい目にあったりしたら、必ず教えてくれるって」
「その交換条件の意味が、俺にはよくわからない」
「わたしはいつも心配なの。もしも大地震が起きて彼が瓦礫に埋もれたら、誰か助けに行く人はいるのかなって。病気になったら、身の回りの世話をしたり励ましたりする人はいるのかなって。彼女が『大丈夫』と言ってくれたら、きっと安心できるもの。それに――」
 彼女は言葉を切って、陽一のコロナビールをとりあげ、一口飲んだ。珍しいことではないのだが、内藤や富原ら若造が見たら、間接キスだ、とはしゃぐのだろうか。
「それにね、もしわたしが誰かと結婚して、そして彼女とあの人が結婚したら、二組のカップルで、家族ぐるみのお付き合いができるかもしれない」
 陽一は、背もたれに預けていた身体を、ぐっと起こした。

「なんだそれ」
「こんにちは、元気? って堂々と言えるのよ。彼も、奥さんの友人として、温かく接してくれる。一生会えないより幸せかも、って思ったり」
「でもさ、それってもう恋愛じゃないだろう。人間愛?」
「だから言ったでしょ。枯れた夢を見たって」
「哀しくないか? そもそも枯れたら、別のやつと結婚もできないだろ。実際のところ、別れてから他のやつとは――」
「ない。一度も。でも今後、誰かわたしを強く必要としてくれる人がいたら」
「それは恋愛じゃないって」
「そうだけど」
「じゃ、仕方ない。俺で手を打つか」
 冗談を言うと、秋美はふと真顔になった。
「わたしも社長ってかっこいいと思ってたんですよ、前か

 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 

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ブンゲイ ダ・ヴィンチ

「さあ、どうでしょう」
 それ以上の追及はやめた。もしかしたら、彼女は何もかも聞いていたのかもしれない。
「今思えば、俺の若い頃の失恋は、甘たるかったなぁ。ただ行き違っただけ、タイミングが合わなかっただけかもしれない。きっと本当の失恋っていうのは――」
「人生が枯れて、恋そのものを失うこと」
「ほんと、俺なんて人間に恋したカバの気分だよ」
「ロマンティストなカバね。海の魔法にかかったみたいな」
 不意に閃いて、陽一はポケットをまさぐった。リゾート地でこんなくつろいだ格好をしていても、日頃の習慣は抜けない。思いついたことをすぐに書き付けられるように、メモ帳とミニボールペンを入れていた。
「海の、ロマンティスト。つまりだ。マリン・ロマンティスト」

ら」
 再び嫌な予感がして、陽一は国道を流れる車のテールランプを目で追いながら、軽く交わした。
「嘘つけ」
「本当です。社長はかっこいい。男の人っていうより、人間としてね」
 やっぱり。陽一は頭を抱えた。
「聞いてたのか、クソ」
「ちょうど着いたばっかりで。二階に上がろうとしたら、そんな会話が聞こえてきてね」
ああ、クソ。百回くらい連続で舌打ちしたい。陽一は逆襲を試みた。
「一つ聞くけど。昔の君の彼は、クリエイティブな職業?」
  ほんのわずか、彼女は目を見開いて、それから海のほうを向いてニコリとした。

 

マリン・ロマンティスト

ブンゲイ ダ・ヴィンチ

 口にしたことを白い紙にも記した。
「何なの、それ」
「ビールのコンペだよ」
 よくわからないという顔をする秋美に、陽一は早口で説明した。
「来年の初夏発売だから、ちょうど海の季節が始まる。マリン・ロマンティスト。その名前のビールを渚で飲むと、誰もが恋を語りだしたくなるんだよ。今の俺たちみたいに。現在進行形の恋、枯れた恋、夢のような恋、はじまらない恋」
「英語の文法的には正しいのかしら。マリン・ロマンティストって」
「またそうやって足を引っ張る。そんなことはいいんだ」
陽一が怒ったふりをすると、秋美は弾けた声で笑った。
「だってー」
「もう一杯飲みながら、コンセプトをまとめてみるか」

「リゾートで結局仕事の話。わたしたち、昔からこうだよね」
「そろそろ徹夜はきついお年頃だけどな」
 海に向かって左手の空が、濃紺から淡い水色に変わりつつある。間もなく江ノ島大橋や国道一三四号線沿いの街灯が消える。そして、朝が来ればまた、この海岸にはたくさんの恋人たちが想い出をつくりにやってくる。
陽一は立ち上がって浜辺を見下ろした。来年は、この渚まるごと魔法にかけてやりたい。自分もそのなかにいて。


                       END

吉野万理子

マリン・ロマンティスト
  • 著者:吉野万理子
作 成 日:2008 年 09月 25日
発   行:吉野万理子
BSBN 1-01-00017980
ブックフォーマット:#429
 

1970年神奈川県生まれ。2002年「葬式新聞」で「日本テレビシナリオ登龍門2002」優秀賞受賞。05年『秋の大三角』で第1回新潮エンターテインメント新人賞(現・エンターテインメント大賞)受賞し、小説家としてデビュー。近著に『乙女部部長』(弊社刊)、児童書に『チームふたり』(学習研究社)など。

Yoshino Mariko

 

 


吉野万理子

 


Yoshino Mariko