山本くんには友達がいない  |  davinci

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山本幸久

 
 
 
 

山本くんには
友達がいない

 
 
 
Yamamoto Yukihisa

第1回

 
 
 
 

 
  
 
 
山本幸久

   
山本くんには友達がいない

  
 
  

Yamamoto Yukihisa 

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 
  

Yamamoto Yukihisa   
 
  

Yamamoto Yukihisa 
 
  

Yamamoto Yukihisa ぶん

山本くんには
友達がいない

   







        第1回

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 
  

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Yamamoto Yukihisa ぶん
 

教室のどこかにいるだれかだ。それを聞いた子達が、そっくりぃ、似てるぅ、おれもそう思っていたぁ、と笑い転げていた。そのうちの何人かは、しぃらけどぉりぃ、とぉんでいぃくぅ、とか、電線にスズメが三羽止まってた、などと唄い、おかしな動きをして、はしゃぐのを目撃して、山本くんはぎょっとした。学校ではありふれた風景だが、この会場では珍しいことだったからだ。
 山本くんは小松の親分がでていた番組を観たことがなかった。家ではNHK以外のテレビは観せてもらえなかった。正確に言えば親にうれしがってもらおうと、山本くん自身が小学四年のときに宣言してしまったのである。あれは若気の至りだったと小学六年の山本くんは思う。
 NHK以外のテレビを見ないからといって、そのぶん勉強をするわけではない。するはずがない。その証拠にいま終わったばかりの算数の解答用紙は空欄だらけだ。
 ふぅぅぅぅぅ。

山本くんには
友達がいない

 

 ビートルズが四人揃って日本にきた年に、山本くんは生まれた。だけど小学六年生になったいまもまだ、山本くんはビートルズの曲を聞いたことがない。

 チャイムが鳴った。小学校のそれとはだいぶちがい、おごそかで仰々しいように山本くんは思う。
「はい、鉛筆置いて」
 教壇に立つ試験官が言う。
 山本くんは言われたとおり鉛筆を置いた。
 テスト会場は大学の教室である。しかしこれまた小学校とちがい、ばかでかい。講堂の半分はありそうだ。
「解答用紙を裏返して」
 試験官の声は教室の隅々にまで鳴り響く。大声というより甲高い声だ。
 あいつ、小松の親分さんに似ているよな。
 先週、だれかがそう言っていたのを思いだす。この広い

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 
  

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山本くんには
友達がいない

事実、いまここにいる百人近い中学受験生で、そんなものをしているのはその子だけだった。 
 試験官はそのハチマキくんの脇にたどり着くやいなや、おおいかぶさるようにして、鉛筆を握る右手をがっしりつかんだ。
「書いてません、書いてません」
 ハチマキくんは大声で叫んだ。両目からぼろぼろ涙がこぼれ落ちる。からんからん、と音がした。握っていた鉛筆が床に落ちたようだ。
「チャイムが鳴ってから答えは書いてません。ほんとです。許してください、許してください」
 会場にいる百人近い受験者達の視線がしだいにハチマキくんに集まりだした。われ関せずとちらりとも見ないものもいる。彼が泣き叫ぶ中、みんなの解答用紙は数名の試験官に回収されていく。
 チャイム後に答えを記入した場合、受けたテストが無効

 山本くんが長いため息をついた途端、「こら、そこっ」と背後から鋭い声が聞こえ、からだをびくりと震わせてしまった。
 おそるおそるふりむくと、試験官のひとりがこちらに早足で歩いてきているのが見えた。
 ため息がまずかったのか? と焦りはしたものの、注意されたのはべつの子だとわかった。
 席一つ開けた右どなりの男の子が鉛筆を握ったまま、解答用紙にまだなにか書きつづけている。いまにも泣きそうな顔でだ。
 チビでやせっぽっちの自分を棚にあげてなんだが、彼はせいぜい三年生くらいにしか見えない。しかも滑稽なことに『合格祈願』なるハチマキをしていた。試験がはじまる前はしていただろうか。
 受験は来年の二月だ。いまはゴールデンウィークが終わったばかり、いかんせん早すぎるように思える。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 
  

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になる。それどころか、つぎからこの日曜模試が受けられない可能性もじゅうぶんあり得る。
 山本くんはこの暴挙を実行にうつそうと考えたことが幾度かあった。日曜模試が受けられないようになれば、毎週日曜日、ここへこないですむ。自動的に受験勉強もしなくていいことになるから、毎日の塾通いもおしまいだ! やったぁ、ラッキィィィ!
 と想像するも実行に至らずにいる。残念ながら山本くんはそんな度胸は持ち合わせていなかった。いや、まったく残念。
「許して、許して」
 ハチマキくんは上半身を左右にふりだした。いやいやをしているのだ。これには山本くんもあきれた。パニックに陥っているのだろうが、それにしたって一流中学を目指す人間とは思えない行動だ。はじめは右手を握っているだけだった試験官も、ハチマキくんを中腰で羽交い締めにして

いた。
「落ちつきなさいっ」
 教壇から駆け寄ってきた小松の親分が甲高い声で一喝すると、ハチマキくんはぴたりと泣き叫ぶのをやめた。いやいやも同時におさまる。
「放しておあげなさい」小松の親分は羽交い締めにしている試験官に命じてから、なおかつこう訊ねた。「どぉうなんですか?」
 チャイム後も答えを記入していたかどうか、ということだろう。ハチマキくんから離れた試験官が口を開きかけたときである。
「書いていませんでしたよ、そいつ」
 ハチマキくんのすぐうしろの席にいる子がそう言った。すでに声変わりをしているらしく野太い声だ。
「チャイムが鳴ると同時に鉛筆置いてました」
 嘘だ。

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 
  

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山本くんには
友達がいない

 

 しかし山本くんはどうして彼がそんな嘘をつくのか理解できなかった。それはハチマキくんもそうらしい。
「な? そうだよな」と自分を弁護する子に同意を求められても、きょとんとした表情でいるばかりだった。答えないどころかうなずきすらしなかった。
 野太い声の少年の眉間にわずかだがしわが寄った。だがそれはすぐに消え、「そうだったろ?」と今度は山本くんに話しかけてきた。
 なんだなんだ。なんで、ぼくに聞く?
 そう思いつつも、山本くんは「あ、ああ、うん」と肯定にとられてもしかたがない返事をしてしまった。
「嘘をつくなっ」
 試験官の顔が山本くんにむいた。
 怒ってるぞ。どうしよう。
「おれがこのハチマキ野郎の腕を握ったとき、鉛筆を握っていたぞ」

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 
  

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山本くんには
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 ええ、たしかにそのとおりです。 心でうなずいても口から言葉がでない。山本くんはおとなに叱られたり、怒られたりすることになれていない。怒りに満ちたおとなを前にすると、からだがすくんでどうすることもできないのだ。
「でもいま、彼は鉛筆を持ってはいませんよねえ」
 野太い声の少年がさらに言い募る。子供がおとなに難癖をつけるのとはちょっとちがう。声変わりをしておとなのような声だからかもしれないが、山本くんは、彼のしゃべりかたは犯人を追いつめる探偵のように思えた。
「鉛筆はおれが腕を握ったときに手放したんだ」
 そのとおりだ。山本くんもそれは見ていた。
「証拠はありますかね?」
「証拠?」繰り返す試験官の鼻息は荒くなっていた。
「そうです。彼が、おっと、きみの名前はなんていうんだ?」

 

気取りの少年をにらみつけている。
「おい、おまえ」
 怒っている。沢田はまだまだ怒っている。それどころか、さっきよりも怒りは膨張しているのは間違いなかった。直接、声をかけられたわけでもないのに、ナントなどおどおどしている。ひとのことを言えた義理ではない。山本くんも同様だった。しかしにらまれているとうの少年はどこ吹く風といった風情である。
「なんでしょうか」なんて、聞き返している。
「名前を教えろ」
「クロスです。クロスシンタロー」
「きみっ」教壇から小松の親分が叫んだ。「まだなにかもめているのかね。面倒はごめんなんだ、面倒は」
 沢田は舌打ちをしながらも、ようやく去っていった。
 クロスと名乗った少年はその場にしゃがむと、すぐに立って、「これ」とナントに鉛筆をさしだした。

 訊ねられたハチマキくんはみんなを見回してから、「ナントです」と答えた。
 書いていただろ、おまえ。山本くんは心のうちでナントに毒づく。しかしもし自分がナントの立場だったらどうだろうとも考える。正直に言うことはまずあり得ないだろう。
「だったらそれでいい。この件はこれでおしまい。いいから早くきみの担当の列の解答用紙を回収しなさいっ」
「え、でも」
 沢田がなおも食い下がろうとすると、小松の親分は「おしまいったらおしまい。面倒はごめんだよ」と教壇にむかって、小走りに去っていく。その走り方はこのあいだ、はしゃいでいた子のうちのひとりの動きに似ている。顔だけではなく、動きもまた小松の親分にそっくりだということだろう。
 沢田はまだ動こうとしなかった。ナントではなく、探偵

ブンゲイ ダ・ヴィンチ
 
  

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「あ、う、うん」
 ナントはまたうなずくだけだ。
「ちゃんとお礼を言いなよ」
 山本くんはつい注意してしまった。つづけてこうも言うつもりだった。
 彼のおかげで、きみはピンチを切り抜けることができたのだから。
 しかしナントはまたさっきとおなじ、きょとんとした顔つきになっていた。メガネザルみたいだ、と山本くんは思う。メガネのかわりにハチマキしているけども。
「そ、そうだね。うん、きみの言うとおりだ」
「いいよ、礼なんて」
 クロスは不機嫌そうに言い、席に座った。そしてこう付け加えた。
「おれは礼を言われたくて、ナイトーをかばったわけじゃねえんだ」

 山本くんが代々木上原進学教室の会員になったのは五年生の秋だ。会員になるためにはまず試験を受けねばならなかった。母親に命じられるがまま、お茶の水のどこかの大学へ受けにいき、あろうことか、受かってしまった。山本くん以上に母親が驚いていた。
 会員になってから、しばらくして国語算数理科社会それぞれの科目の教材が数冊、送られてきた。これらを自宅で予習し、毎週、日曜日に実施されるテスト、『日曜模試』に臨まねばならないのだという。教材をぺらぺらとめくると、学校の教科書とはまるでちがう、一目でレベルが高いとわかる問題が並んでおり、山本くんは比喩でもなんでもなく、めまいを感じた。
 ひとり、自宅で予習などできる代物ではなかった。とてもじゃないが歯がたたない。しかしそれについては母親がすぐさま手をうった。世の中には代々木上原進学教室の日曜模試の予習勉強をするための塾というのがあった。会員