花男論メモ  |  kaerusan

 だから、気の進まない野球観戦に無理矢理連れて行かれるところから『花男』第十一話の『追想』が始まると、いいぞいいぞ、と思うのだ。

 花男と茂雄が住む街には、電車が平気で道の真ん中に割り込んでくる。魚眼レンズで覗いたかのようにふくれあがった街に、電車は、足もとに黒々とした夜を抱えて到着する。まるで江ノ電みたいだ。

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 そして電車は、まるで現実と夢を入れ替えるように、上下さかさまになって天井からぶらさがる。天井の黒い夜に吊されて、真昼をたどるように電車が走ってくる。まるで湘南モノレールみたいだ。

 二人が乗っているのは、その、天井から下がったモノレールだ。よく見ると地上駅の入口には「現実」という駅名が入っている。陸地に立てられているはずのバックミラーに島影なのか舟影なのか、海の気配が映り込んでいる。人を驚かすように笑う老人の名前が看板に記されている。追想はもうそこまで来ている。

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 いや、追想にはまだ早い。

 だって試合はまだ始まってもいない。グラウンドのピッチャーの前には防球用のL字型ネットが置かれて、バッターのうしろにはコーチや選手たちが集まっている。まだここは、練習中なのだ。

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 しかし、それを見ている茂雄の目が、にわかに見開かれる。

 見開いた目は解像度を上げて、遠いグラウンドをまなざしている。松本大洋のマンガでは、遠い景色がやけに記憶に残る。白(#シロ)と(#クロ)のわずかなタッチで、小さな人々の衣服や姿勢の違いまでが浮き上がってくる。ピッチャーは、ちょうどL字ネット越しに球を投げたところで、丸いマウンドの中で片足を蹴り上げたばかりのその姿は、まるで眼の中の瞳のように見える。その、瞳から放たれた球は、あたかも視線が凝って一つの物質になってしまったかのように宙に浮いている。

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 茂雄の見開かれた目を、テレビカメラは隣のコマから捉えようとしている。時は満ちつつある。

 茂雄の瞳が、さらに見開かれる。眼の形はいよいよ球に近づく。このチャンスを、隣のコマからバッターが狙っている。右足に重心がかかる。背中のバットがかしぐ。眼球は、いままさに、カメラとバッターによって打ち込まれようとしている。

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いまだ。

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